三木稔作曲のレクイエム

海を渡ったVeraの魂:三木レクの歌詞の由来を辿る 

町田フィルハーモニー合唱団 和田一範

 

三木稔作曲のレクイエムの歌詞は、魂を揺さぶるような強烈なインパクトを持ってその音楽を構成している。その原詩は、三木氏が楽譜の出版、再版によせて記述している通り、マンガイヤ島のヴェラを悼む送葬の歌であり、この原曲の歌詞だけがドイツ語に訳され、これがさらに和文に訳された詩集を、氏が神田の古本屋で昭和30年(1955年)発見したことに由来する。氏は、詩集の中に、このヴェラを悼む・・を見出し、この凄絶な詩に、電撃のような閃きに縛られた、と記している。1963年の作曲にあたって氏は、現代の恐るべき数々の殺戮によって、天寿を全うせずに昇天した魂への、広い意味の鎮魂歌に植え直した、と述べている。また後年、大平洋地域に散った巨大なさまよえる魂たちに安息を、とも述べている。この歌詞から我々日本人は、太平洋戦争、サイパン島や硫黄島、沖縄戦の玉砕を想い、東日本大震災や伊勢湾台風など、数多くの津波災害や高潮災害で亡くなった人々を想う。この南太平洋、ポリネシアの原曲の歌詞が持つインパクトが、ドイツ語を経て日本語に訳された後も、大きな力を持っているからであり、また、同じ太平洋の海洋民族としての血が繋がっていることを想像させる。本稿では、三木稔作曲のレクイエムの歌詞の由来を辿ってみたい。

 

1.マンガイヤ島 → 下記の写真を参照

http://www.cookislands.org.uk/mangaia1.html

マンガイヤ島(Mangaia Island)は、南太平洋、ニュージーランド領クック諸島の南クック諸島に位置する火山性の島で、島の面積51.8km2、クック諸島の中ではラロトンガ島に続いて2番目に面積が大きい。

クック諸島政府のH.P.によれば、太平洋で最も古い火山島。海底火山の隆起により誕生した島で、最高地点がRangimotia山(169m)。島の周りは約60mの古代のサンゴの化石の壁に取り囲まれている。これは1800万年前、近隣の火山島ラロトンガ島の成長が地殻を大きく歪め、マンガイヤ島と周囲のサンゴ礁が海から隆起したためである。

三木レクの歌詞に登場する、大岩や、断崖、洞窟などは、これら火山性のサンゴ礁の島の特徴である。

ポリネシア系マオリ人が暮らすこの島は、紀元前500年頃にポリネシア人が居住をはじめ、西暦1200年頃までに焼畑農業を中心とした生活を送っていた。肥沃な低地は島のわずか数%に過ぎないため、部族間抗争の目標とされ、焦げたり、折られたり、齧ったりした跡のある人骨が1500年頃の岩窟住居の埋蔵物から発見されており、激しい資源争奪戦が繰り返されていたことを示している。

1777年3月29日、この島はイギリスのジェームズ・クック船長によって発見された。その後1858年、ラロトンガ王国が建国され、1888年、イギリスの保護領となったが、1901年に、ニュージーランドの属領となった。1965年、ニュージーランドの内政自治権を獲得、軍事と外交部門以外の、立法権、行政権をクック諸島政府が有する。1973年のニュージーランドとの共同宣言で、独自に諸外国と外交関係を持つ権利が認められた。クック諸島の気候は熱帯、サイクロンの常襲地帯で、11月から3月までの間がサイクロンのシーズンである。毎年のようにサイクロンの被害を受け、1986年12月~87年1月に来襲したサイクロン・サリーでは、3mの高潮が発生し、甚大な被害をもたらした。

サイクロンは、南太平洋とインド洋で発生する熱帯低気圧をいうが、南半球なので、台風の反対で右回り。南太平洋のポリネシア海域では、概ね北から南に進路を取って、強風の北風を吹きながら、勢いを増す。サイクロンが通過すると、吹き返しの南東風が吹いて、これが収まると、サイクロンは勢いを弱め、過ぎ去ってゆく。

三木レクの歌詞に登場する、みなみひがしの風とは、これを称しており、サイクロンが過ぎ去って、嵐がおさまることを意味している。クック諸島政府のホームページより

2.南方原住民の歌謡(昭和19年(1944年)9月)浜野修編訳 → 下記の写真を参照

実サイズ:17cm×10cm,201ページ

ドイツ文学者の浜野修(1897(明治30)~1957(昭和32))氏が、Eckart von Sydow氏著、Dichtungen der Naturvölker(1936年)に掲載された先住民の歌謡の、歌詞のうち、主に太平洋の諸島のものを、約1/3の52編を抜粋して、南方原住民の歌謡という表題をつけて和訳したもので、基本的な目次構成などは、ドイツ語原文のまま変わっていない。実サイズは、17cm×10cmと手帳をひと回り大きくしたサイズで、厚さ約1cm、いわゆるわら半紙の紙質で、一本だけ大きなホッチキス止めした簡易な装丁で、当時の物の無い時代を感じさせるものであるが、印刷そのものはかなりしっかりした活版印刷である。各詩の解説や、全体の解説は、Sydow氏のドイツ語原文があって、これを編訳のかたちで浜野氏が和訳しており、基本的にはSydow氏の見解であるが、各島の位置的な解説には浜野氏のオリジナルな表現があって、その大部分には太平洋戦争の日本の戦果にかかる記述がある。

さらに、ハワイの近代歌謡、冷たい心(Kaltes Herzs, Modernes Lied aus Hawaii, Südsee)、の解説にいたっては、ハワイがアメリカのために独立を奪われた以降のもので、それ以前の歌と較べて、表現がひどく単純で、大分ジャズ的なものが底流しかけている・・、などとドイツ語原文には全く無い記載があって、コテンパンである。

これらは、序文として浜野氏が寄せた文、南方原住民の歌謡について(参考1)、と連動していて、出版年の昭和19年9月、および前書き記述の昭和17年10月、という時期を考慮すると、このような記述をしなければ、出版できなかったものと想像される。前書き記述から2年間という長い期間を経て出版に至っている点も、当時の検閲などを踏まえると、その状況が理解される。前書き部分に、ヴェラを悼む送葬の歌(マンガヤ島ポリネシア)(Totenklage um Vera(Mangaia,Polynesien,um 1770))は、特記して紹介されており(参考2)、訳者もこの詩には、特別な感銘を受けていたことがわかる。

ヴェラを悼む・・の後段に記述された、解説文(参考3)は、Sydow氏の原文に、浜野氏が付け加えた合作の文章であるが、独吟と合唱の掛けあいであることと、途中からこれが一元化するということに、大きな注目をしていることがわかる。 なお、この文章の冒頭に記されたマンガイヤ島の位置の説明は、昭和17年(1942年)6月のミッドウェイ海戦を引いており、当時の日本国民は、太平洋戦争の転機となったこの重大な事実を、全く偽って伝えられていたことに気が付く。

またこの詩集には、マンガイヤ島の曲が、このヴェラを悼む・・と、その次の曲、ウラの哀悼歌(Totenklage um Ura (Von Seinem Vater Koroa, um 1796) (Mangaia,Polynesien,Südsee))の2曲、掲載されているが、こちらの曲もかなり似た情景を歌っていることがわかるので、現地の人々の死生観が推察される。 

参考1.南方原住民の歌謡 参考2.南方原住民の歌謡 参考3.南方原住民の歌謡

3.Dichtungen der Naturvölker(1936年)Eckart von Sydow著

実サイズ:24cm×17cm, 283ページ

Eckart von Sydow氏著 Dichtungen der Naturvölker(1936年)は、自然の人々の詩、という意味、Religiöse, magische und profane Lyrik(宗教的、神秘的、現世の抒情詩)という副題がついていて、文字になっていない先住民の歌謡の、歌詞を紹介したものである。

実サイズは24cm×17cm、厚さ約3cm。浜野氏が序文に紹介している通り、椰子の繊維だか亜麻だかを使った表紙に、土人の仮面をセピアで刷ったなかなかきれいな、典雅な本である。出版社のPhaidonにより、ウィーンで印刷されている。(写真のものは1954年版で、著作権1954年Phaidon出版社、ウィーン・オーストリアで印刷、と記されているが、これには浜野氏の序文の文章にある、初版の出版年1936年は、どういうわけか明記されていない。)

全体は、アフリカ大陸やシベリアなども含め、283ページにわたって166編の原住民の歌の歌詞を紹介したもので、このうち主に太平洋の諸島のものを、約1/3の52編を抜粋して、訳したものが、浜野修編訳にあたる。

Eckart von Sydow(1885~1942)氏は、文化人類学者で、数多くの著作(独文)がある。本書以外の多くは、ベルリン、ライプチッヒで発行されたものであり、活動の主体はドイツであると考えられる。氏の本書のドイツ語訳は、韻を踏むなど、そのままドイツ語の詩として読める文体になっている。

 

ヴェラを悼む送葬の歌は、やはりSydow氏がその解説文において特記して紹介しており、この詩には、特別な感銘を受けていたことがわかる。また、氏はポリネシアンの歌詞には特に、詩として優れたものがあるとしている。

TOTENKLAGE UM VERA ( MANGAIYA, POLYNESIEN, UM 1770) の下段に記述された、解説文(参考4)によれば、ヴェラはマンガイヤ島の王の甥で、1770年に亡くなった際にこの送葬の歌が作られた。またこの曲が、独吟と合唱の掛けあいであることと、途中からこれが一元化するということに、大きな注目をしていることがわかる。

ヴェラを悼む送葬の歌にかかる、浜野氏の和訳は、Sydow氏のドイツ語原文に忠実に訳されており、行数もまったく同じで、原文の雰囲気をそのまま継承しようとしたことが伺える。行末の「――、!、?」などもかなり、忠実に、訳されている(参考5.6.7)。

ついでながら、浜野氏は和訳にあたってEckart von Sydowの名前を、Echartに間違えており、これは三木氏の楽譜での解説にも反映されて、そのままの記述になっている。 (これは全くの想像であるが、氏の名誉のために記すと、ドイツ文学者がその翻訳、出版にあたって、著者の氏名の綴りを間違えることは、およそ考えられないので、戦時中の出版にあたっての、検閲や校正の仕組みが、このような間違いを生んだのではないか。前述の前書きの日付から出版まで2年という期間をあわせて、大いに時代背景を考えさせられる側面である。)

参考4.Dichtungen der Naturvölker

参考5.冒頭部分(第一楽章)

Es ist an der Zeit, ihr Freunde, zu scheiden ! さあ、お別れの時が来た!

参考6.中段(第四楽章)

Eile,Eile 急げや急げ。

参考7.後段(第六楽章)

Unsere Kleidung sind Trauergewänder und Blumen. 誰方もお支度は喪服に花束。

4.三木氏の作曲にあたっての、歌詞の翻案

楽譜に記された氏の解説文によれば、昭和38年(1963年)の初版(男声合唱・オケ版)作曲にあたって三木那名子氏によって、浜野氏の編訳の一部を改編して、翻案され、彼岸への対話(レクイエム歌詞として)と題して、楽譜に掲載されている。その説明は、楽譜に記されたものが明確であるが、以下に、改編した点だけ(後年追加された、第三楽章花の歌を除いて)、転記する。 ソロ、独吟の役割が大きく変わっている点と、最終章クライマックスの部分に、大きな手が加わって、より具体的なイメージになっている点が、特徴である。

第一楽章 

1)聞こえるかヴェラよ → 聞こえるか友よ

2)あの小さな棕櫚の樹の蔭の → あの松の林の蔭の

3)きょうから精霊の国と決まった → きょうから住む国と決まった

4)ヴェラ様を海の向こうへ → おまえを海の向こうへ

第二楽章 

5)俺たちは座り、そして泣きだす → 崩折れ そしてなつかしむ

6)内陸の高山を → たたずむ山々を

第四楽章 

7)追加

  返れ引返せ

  船出はすまい

  岩も叫ぶ 木も叫ぶ

  海の風さえ取り乱している

  岩も叫ぶ 木も叫ぶ

  海の風さえ取り乱している

8)あれが淋しいラウバの洞窟→棕櫚の林の間を縫ってあれが淋しい彼岸への道

9)日輪の沈んでゆくのを見ろ → 見よ、太陽はすでに地の果にかげり

10)引き返せというお頼みだな→再び道を返すすべもない

第五楽章 

11)追加 → 枝の繁りも行く手をさえぎり花の香りも虫の声もその胸を乱す

12)棕櫚の林の間を縫うて→棕櫚の木の暗くうち続く間を縫って

13)追加 → 波巻く濃藍の海原こえて 友よ用意はいいか

第六楽章 

14)追加 → 嵐をさける にげ場はどこだ鎮まれ 鎮まれ気を静めて そっと吹いてくれ 傷ついた魂がひと眠りする間

        おお足許の大地が二つに割れた 海が二つに割れた 岩も割れ 木も割れた ぽっかりあいた 大きな割れめは 手招きして わたしたちを待っている

15)追加 →ではさようなら

16)追加 →友に安らかな眠りを賜われ

 

5.あとがき:原曲、原詩、ヴェラを悼む送葬の歌

マンガイヤ島、現地の言語は、ポリネシア系クック諸島マオリ語である。公用語は英語であるが、現地の人は、両方の言葉を話す。マオリ語には文字は無い。

1770年に作曲されたとされるこの原曲、あるいはその原詩は、1777年のクック船長の来島以降の西欧化の中で、ヨーロッパに伝わったと思われるが、現時点で入手できる資料はない。作曲者三木氏は、楽譜の解説に記されたとおり、その作曲過程から、原曲には全く接していない。また、和訳翻訳者の浜野氏は、現地語の原詩には触れていない。浜野氏は、このことをお詫びのかたちで申し述べている。

さらに、ドイツ語著者のSydow氏は、原曲の原詩を、忠実にドイツ語訳することに徹した、としているが、前に述べたとおり、ドイツ語の詩として読める形態にしており、そのままでドイツリートの歌詞になるような仕上がりである。

やはり原曲を聴いてみることが、現地の死生観と文化を理解する上で、重要な作業となる。ちなみにマンガイヤ島の通常の音楽は、いわゆるポリネシアンダンスの曲であり、代表的な曲は、太鼓と、木や竹の打楽器による強烈なビートの伴奏で、ソロと、男声女声の混声で、掛け合いをやるものが多く、男声女声のオクターブの間に、三度あるいは五度の並行旋律による和声で、物語を語ってゆくものである。

 やはり原曲を聴いてみることが、現地の死生観と文化を理解する上で、重要な作業となる。ちなみにマンガイヤ島の通常の音楽は、いわゆるポリネシアンダンスの曲であり、代表的な曲は、太鼓と、木や竹の打楽器による強烈なビートの伴奏で、ソロと、男声女声の混声で、掛け合いをやるものが多く、男声女声のオクターブの間に、三度あるいは五度の並行旋律による和声で、物語を語ってゆくものである。

 

 

You Tubeでヒットしたマンガイヤ島の曲のURLを下記に示すので、ご参考いただきたい。

http://www.youtube.com/watch?v=ASDeYEwjoDM

http://www.youtube.com/watch?v=qkUiqmN_YaI

http://www.youtube.com/watch?v=vBmukKulvTE

http://www.youtube.com/watch?v=8L34zMMIlWE

ドイツ語、日本語に訳された原詞の構成は、これらのポリネシアン歌謡の形態を、多分に想像させるが、送葬の歌がこんなに賑やかでいいものか、どなたか、是非、現地に行って、この曲の原曲、原詩を突き止めていただきたい。

おわりに、1770年に旅立ったVeraの魂を送る歌が、キャプテンクックのマンガイヤ島発見の後、欧州に渡り、第二次大戦前のドイツを経て、太平洋戦争中の日本に渡った。戦後、三木稔氏に見いだされ、1963年、氏のレクイエム作曲に至り、現代に至るまで多くの魂を癒していった。その人類文化の歴史の重みを十分に感じつつ、稿を閉じる。

6.参考資料

今後の研究のために、入手した資料の所在を、下記に明記する。

1)南方原住民の歌謡(昭和19年(1944年)9月)浜野修編訳

国立国会図書館デジタル化資料

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1062623

ヴェラを悼む送葬の歌(マンガヤ島ポリネシア)は、p45~p59に掲載。

2)Dichtungen der Naturvölker(1936年)Eckart von Sydow著

東京大学 駒場図書館、ほかに下記にも蔵書有り

東京大学大学院人文社会系研究科文学部図書室、名古屋経済大学図書館、千葉大学附属図書館、東北大学附属図書館、一橋大学附属図書館、国立民族学博物館情報管理施設

Totenklage um Vera(Mangaia,Polynesien,um 1770)は、p94~p99に掲載

3)クック諸島政府のホームページ

http://www.cookislands.org.uk/mangaia1.html

http://www.cook-islands.gov.ck/

4)You Tube, MANGAIYA:再掲

http://www.youtube.com/watch?v=ASDeYEwjoDM

http://www.youtube.com/watch?v=qkUiqmN_YaI

http://www.youtube.com/watch?v=vBmukKulvTE

http://www.youtube.com/watch?v=8L34zMMIlWE

5)三木稔氏の言葉

・三木稔Home Page

http://www.m-miki.com/

・浅草混声合唱団第9回定期演奏会

http://homepage3.nifty.com/yabuyama/concert/mikireqmain.html#kotoba

・第8回宝塚混声合唱団リサイタル

http://takarazukakonsei.sakura.ne.jp/sub03.html

6)楽譜

・混声合唱・ピアノ伴奏版 レクイエム 三木稔作曲:カワイ出版:昭和59年11月1日第1刷発行

・混声合唱・ピアノ伴奏版 レクイエム(追加改定新版) 三木稔作曲:カワイ出版

・バリトン独唱、ソプラノ独唱、男声合唱およびオーケストラのためのレクイエム(増補版)三木稔作曲:カワイ出版

 

2014年(平成26年)1月記

和田 一範(Kazunori WADA) 博士(工学)Ph.D.

町田フィルハーモニー合唱団 テナー

(現在、混声合唱団樹林、つくば古典音楽合唱団にも在籍)

(現在、国土交通省国土技術政策総合研究所 国土マネジメント研究官)

1)南方原住民の歌謡(昭和19年(1944年)9月)浜野修編訳

ヴェラを悼む送葬の歌(マンガヤ島ポリネシア)

(画像をクリックすると別窓で表示されます。)

2)Dichtungen der Naturvölker(1936年)Eckart von Sydow著

TOTENKLAGE UM VERA ( MANGAIYA, POLYNESIEN, UM 1770)

(画像をクリックすると別窓で表示されます。)


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