ラテン語のお勉強  ~レクィエムを歌うために~          町田フィルハーモニー合唱団 安倍武明

 

1.はじめに

私たち合唱人はラテン語には親しみがあるはずです。 重要なレパートリーである宗教曲の詞は、ほとんどラテン語だからです。 しかし、その意味を理解していますか? 第一、ラテン語とはどういう言語なのでしょうか? ただなんとなく歌っているというのが実状と思います。

レクィエムの詞を理解できることを目的として、ラテン語のお勉強を始めましょう。 もちろん、私もラテン語については全くの素人ですから、難しい文法などはよく分かりません。 皆様のラテン語の知識を豊富にし、ひいては演奏に深みが出てくれば嬉しいことです。

 

2.ラテン語とはどういう言語か

ラテン語は現在は「死語」、つまり「過去に使用された言語で、今では一般に使われない言語」の扱いですが、欧米語の基幹となった言語であり、日本語にもたくさん入ってきています。 ヨーロッパの知識階級は今でも中・高校でラテン語を学んでいます。 動植物の学名はラテン語だし、格言や名句にも数多く見られ、そういう意味では現在も生きている言語と言えましょう。

少しラテン語からの語を挙げてみます。

A.D.(Annno Domini): 紀元

a.m.(ante meridiem): 午前

p.m.(post meridiem): 午後

p.s.(post scriptum): 追伸

virus : ウイルス

data : データ

memorandum : メモ

ca.~(circa): 約~

格言や名句では、次のようなものをご存じでしょう。

Vox populi vox dei. : 民の声は天の声

Jacta est alea. : 賽は投げられた

シェンキーヴィッチの小説「クォ・ヴァディス」は映画にもなりましたが、Quo vadis 「主よ、いずこに行き給う」もラテン語ですね。 小説と言えば、鴎外の「ヰタ・セクスアリス」はVita sexu-alisです。 さすがは軍医の鴎外先生、ラテン語は身近な存在だったのでしょう。

ラテン語はどこで生まれたのでしょうか。 3000年ほど前にローマに住み着いた、印欧語族の言葉がその起源です。 彼らは自分たちの住む地方をLatium (語源は不詳ですが、「開けた」という意味ではないかと言われています。 現在のラツィオ地方。 「ラツィオ」はサッカーのチーム名として有名のようです。) と呼び、使う言葉をLingua Latinaと呼んだのです。 「ラテン語」という名前はここに由来します。 ローマ帝国の公用語として、帝国の発展に伴ってラテン語の範囲も拡がって行き、ギリシャ語の影響を受けて高度化を遂げました。 ミサ曲でおなじみのKyrieはラテン語ではなく、ギリシャ語です。

紀元前1世紀頃には、ラテン語は「古典ラテン語」として完成します。 文筆家としても有名なカエサル (最近は英語読みの「シーザー」は使われなくなりましたね。) の「ガリア戦記」などは流麗な古典ラテン語で書かれています。 古典ラテン語はラテン人の国が滅亡(西ローマ帝国)してからもキリスト教と共に教会を中心に生き続け、民衆の話し言葉である「俗ラテン語」は他の国の土着語と混ざって、イタリア語、フランス語、スペイン語、ポルトガル語、ルーマニア語、ドイツ語、英・米語等が成立して行ったのです。 いわば、これらの欧米語は、ラテン語の方言ということになります。

特に、イタリア語、フランス語、ポルトガル語、スペイン語、ルーマニア語などは俗ラテン語を共通祖語としており、ロマンス語と総称されます。 時々荒谷先生が「ラテン系の声で!」とか「ラテン系の気分で!」とか言われるのは、このロマンス語系の国、特にイタリア、スペインあたりを念頭におかれているものと思います。 ラテン‐アメリカとは、スペイン・ポルトガル・フランス語系、つまりロマンス語系の住民・文化をもつ、中央アメリカ・南アメリカ諸国の総称です。

 

3.ラテン語と教会

ラテン語が教会の公用語となったのは、4世紀にキリスト教がローマ帝国の国教となった頃からです。 聖書の原典はヘブライ語とギリシャ語ですが、5世紀にはラテン語となりました。 カトリック教会は1962~65年のヴァチカン会議まで、各国語による典礼を認めていませんでしたから、どこの国であろうと、すべてラテン語の典礼文を使っていたのです。 従って、ほとんどのミサ曲はラテン語の詞に付けられています。 シューベルトの「ドイツ・ミサ曲」、ブラームスの「ドイツ・レクィエム」等は、わざわざ題名にドイツ語であることを表示しています。 現在では各国語で典礼を行う事が認められ、日本では日本語でミサが行われているのです。

 

4.ラテン語の発音

ラテン語は広い地域で公用語・教養語として使われたため、イタリア式、フランス式、ドイツ式、スペイン式という具合に発音が各地域で異なって来ました。 教会の世界では19世紀後半にフランスのソレム修道院でのグレゴリオ聖歌の研究の際に修道僧がイタリア式を提唱したことから、20世紀に入って法皇ピオ10世によってイタリア式を基礎とした教会式発音が推奨されるようになります。 しかし、今でも教会で歌う場合のラテン語の発音は国・地域によっていろいろです。

古典ラテン語の発音はラテン語の典礼や聖歌が成立する前のものなので、歌唱に用いられることはほとんどありません。 現在は上に書いたようにイタリア式が主流ですが、ドイツではドイツ式、フランスではフランス式が行われています。 イタリア式の中にも「純イタリア式」と「教会式」の二つがあります。 純イタリア式は現代イタリア語の原則をあてはめたもの、教会式はローマ・カトリック教会が推奨する、いくつかの例外を含むものです。 実際にどの発音で歌うかは指揮者の指示によりますが、日本人が歌う場合は国際的に通用する教会式が主流です。 荒谷先生も教会式でおやりになっていますので、私たちはミサ曲を「イタリア(教会)式」発音で歌っていることになりますね。

 

5.ラテン語の文字

ラテン語の文字は当然ローマ字ですが、アルファベット26文字を全て使うわけではありません。 古典ラテン語では「J」「K」「U」「W」は使いませんでした。 その後、発音を明確化するために「J」「U」が使われるようになったのです。 「K」を使うのは"Kalendae"(暦)と"Karthago"(国名のカルタゴ)だけですから使わないのも同然ですが、ミサ曲でおなじみの"Kyrie"があります。 これはギリシャ語の音写であってラテン語ではありませんが、私たちにとっては使う文字です。 結局、「W」だけが使わない文字ということになりますね。

現代でこそラテン語は文の初めや固有名詞は大文字で始め、コンマやピリオドを使いますが、古典ラテン語では大文字、小文字の区別にはこだわらず、コンマもピリオドも使わなかったのです。 これでは読むのが大変ですね。

 

ラテン語のお勉強  ~レクィエムを歌うために~

町田フィルハーモニー合唱団 安倍武明

6.ラテン語の文法

ラテン語には単語の順序が自由であるという、英語などとは異なる大きな特徴があります。 例を挙げましょう。

Antonius Cleopatram amat.

Cleopatram Antonius amat.

amat Cleopatram Antonius.

上の文章はどれでも「アントニウスはクレオパトラを愛している」という意味になるのです。 英語なら Antony loves Cleopatra ですが、これを入れ替えて Cleopatra loves Antony としたり、Loves Cleopatra Antony などとすると意味が変わったり、意味不明になってしまいますね。 この秘密は、語形の変化にあります。 つまり、ラテン語では格に従って語形が変わるのです。

Antoniusには「アントニウスは」、 Cleopatramには「クレオパトラを」というように、助詞がすでに加わっていると考えてください。 従って、ラテン語では文章は短く、簡潔になりますが、反面、語形を覚えねばなりません。

ラテン語の単語には名詞、代名詞、数詞、形容詞、動詞、副詞、前置詞、接続詞、間投詞がありますが、変化するのは名詞、代名詞、数詞の一部、形容詞、動詞だけです。 なお、冠詞はありません。 名詞には、「男性」「女性」「中性」の3つの性があり、さらに「主格」(~が)、「属格」(~の)、「与格」(~に)、「対格」(~を)、「奪格」(~から)、「呼格」(~よ)と格が6つもあります。 "Deus"「神」(男性名詞)で例を引いてみましょう。

Agnus Dei

「神の子羊」。DeiはDeusの属格で、「神の」。

Gloria in excelsis Deo

「天のいと高きところでは神に栄光がありますように」。Deoは与格で、「神に」。

Credo in unum Deum

「私は唯一の神を信じます」。Deumは対格で、「神を」。

Domine Deus

「主なる神よ」。Deusは主格と同形ですが、呼格で「神よ」。

動詞も、人称、時制、能動・受動等の変化をすべて語形の変化で行います。 うーむ、なかなか大変・・・。

 

7.レクィエムとは?

ちょっと話の筋を変えて、「レクィエム」について考えてみましょう。

「レクィエム」は通称であって、「死者のためのミサ曲」"Missa pro Defunctis"というのが正式です。 "Requiem aeternam dona eis Domine"「主よ、彼らに永遠の安息を与えたまえ。」という言葉が最初に来るため、「レクィエム」と呼ばれるのです。 "Requiem"は「安息を」という意味になります。

「ミサ」は教会における重要な儀式で、最後の晩餐におけるキリストの行いを再現するものです。 この時に歌われるのが「ミサ曲」です。 "missa"はもともと「解散」を意味します。 礼拝の終わりに司祭が"Ite,missa est."「解散であるので立ち去れ」と言ったことから来ているのだそうです。 ドイツ語では"Die Messe"ですが、ドイツではミサの後で教会前の広場で市が立ち、これが発展してMesse「見本市」になりました。 日本の「幕張メッセ」もこれに因んだ命名です。 「解散」が、今では人々が集まる場所になっているとは面白いことですね。

カトリック教会では毎日ミサをやるのが原則です。 形式は一定ですが、教会には教会暦という暦があり、これに従ってミサの内容が決められているので内容は違ってきます。 ほとんど毎日がキリストや聖人を記念する祝日になっているので、毎日やることになります。 レクィエムは教会暦と関係なく行われるのですが、こういうミサは随意ミサといいます。 ミサの祈祷文にはミサの内容で変化しない通常文と、変化する固有文とがあり、大体合唱で歌う部分は通常文になります。 固有文はミサを行う司祭が歌ったり語ったりするのです。 ただし、レクィエムの場合は固有文の大部分も作曲されます。 私はかつてザルツブルクの大聖堂で日曜日の「大ミサ」に合唱団として参加し、モーツァルトのミサ・ブレヴィスを歌ったことがあります。 ここで初めて実際のミサに接し、カトリックの典礼とはいかなるものか垣間見ることができました。 コンサート会場での演奏とは全く違い、大聖堂のドームの頂点から音が降り注ぐような感じで、宗教的高揚感と相俟って得難い経験でした。

 

「レクィエム」の日本語訳として、「鎮魂ミサ曲」という語が使われていたことがありますが、これはふさわしくない語なので現在は用いられなくなりました。 レクィエムは、煉獄で罪の償いの責め苦を受けている死者の罪を軽くして頂くように神に祈るもので、魂を鎮めるものではないからです。 日本では、怨みを持つ死者が悪さをしないよう鎮魂をします。 菅原神社は菅原道真の鎮魂のため創設されましたし、法隆寺は聖徳太子一族の鎮魂のため建立されたという説(梅原猛著「隠された十字架」参照のこと)は定説となりつつあります。 日本には神様も仏様もたくさんいらっしゃいます。 菅原公のように人間でも神になるし、それどころか狐だって神になるし、かまどや井戸などの器物にさえ神がいます。 「山の神」という怖い神様もいますね。 一神教のキリスト教とは相当違います。

 

8.レクィエムの歌詞

いよいよレクィエムの歌詞の訳に入ります。 作曲者によって作曲した部分が異なることがありますが、ここでは今回演奏するモーツァルトの曲を対象とします。 歌詞は今回使う全音版楽譜に記載のものを使用しました。

Requiem et Kyrie

Requiem aeternam dona eis Domine : 主よ、彼らに永遠の安息を与えて下さい。

"requiem"の原形は"requies"、「静養」「平安」です。 "aeternam"「永遠の」は、英語なら"eternal"。

et lux perpetua luceat eis. : そして絶えない光が彼らを照らしますように。

"lux"「光」から、照度の国際単位である"lux"「ルクス」ができました。 英語の"look"もここから来ています。 日本語の「ルックスが良い」というのも結局はこの語から来ていることになります。

Te decet hymnus Deus in Sion, : 神よ、シオンでの賛歌はあなたにふさわしいものです。

Sionとはエルサレムの雅名ですが、もともとはエルサレム市街の丘の名で、ダヴィデ王の城や墓があります。

et tibi rddetur votum in Jerusalem : そして供物は、エルサレムであなたに捧げられます。

"votum"は「誓約」という意味もありますが、「誓約された供物」というのが第一義のようです。 ここは詩編から取られていますが、新共同訳聖書ではこの箇所は「満願の捧げ物をささげます。」、日本聖書教会訳では「誓いを果たすであろう」となっています。 この語から英語の"vote"「投票」ができました。 投票するって誓約することなんですね。

exaudi orationem meam, : 私の祈りを聞いて下さい。

"orationem"「祈祷」の原形は"oratio"ですが、他に「話」という意味もあります。 日本に渡って「オラショ」となりました。 「オラトリオ」もここから来ています。

ad te omnis caro veniet. : すべての肉なる者はあなたのもとに来るでしょう。

"caro"は「肉」ですが、ここでは肉体を持つ者、つまり人々を指していると思います。

Requiem aeternam dona eis Domine 

et lux perpetua luceat eis.

ここからはおなじみのキリエですが、この部分はギリシャ語です。 聖書の原典はヘブライ語とギリシャ語で、古い形が残っているのです。

Kyrie eleison, : 主よ、憐れみ下さい。 

Christe eleison, : キリストよ、憐れみ下さい。 

Kyrie eleison, : 主よ、憐れみ下さい。

ギリシャ語の原形は"kurios"「主人」、"christos"「油を注がれた者」、"eleeo"「憐れむ」です。

「油を注がれた者」とは、神が油を注いで祝福した者という意味です。 ヘブライ語の"Mashiach"「メシア」の訳語ですが、この"Mashiach"が英語ではおなじみの"Messiah"「メサイア」になるのです。 「イエス・キリスト」は名前ではありません。 「イエス」が名前、「キリスト」が称号ということになります。

Dies Irae

Dies irae, dies illa : その日こそは怒りの日、

"irae"の原形は"ira"「怒り」。 日本語の「いらいらする。」の語源はこれ? まさかね。

キリスト教の世界観では、仏教のような輪廻の繰り返しではなく、天地創造の「はじめ」と、世界の終わり「終末」があるのです。 人生も肉体の死がすべての終わりではなく、死後の状態があります。 そして「終末」にはすべての者が、再臨したキリストによる「最後の審判」によって、天国または地獄へ振り分けられるということになっています。 「怒りの日」とはその最後の審判の日を指すのです。 "illa"は「その」、"dies"が「日は」です。

Solvet saeclum in favilla 

Teste David cum Sybilla. : ダビデ王とシビッラの予言の通り、世界が灰となるその日が。

"solvet"は「破壊する」、"favilla"が「灰燼」。 "teste"は「証人」「証言」なのですが、"Sybilla"がギリシャの女予言者の名前なので、「予言」とするのが良いようです。 "David"は、ゴリアテを石で撃ち殺し、後に王となったダヴィデのことです。

Quantus tremor est futurus, 

Quando Judex est venturus, 

Cuncta stricte discussurus! : 審判者がすべてを厳しく裁くために来られる時、人々はどれほど恐れおののくことでしょう。

"Judex"は「審判者」つまりキリスト。 "discussurus"の原形"discussio"は「議論」で、英語なら"discussion"。 "tremor"は「震えること」「地震」。 音楽用語の「トレモロ」の語源です。

Tuba mirum

Tuba mirum spargens sonum 

Per sepulchra regionum, 

Coget omnes ante thronum. : この世の墓の上にラッパが不思議な音を響かせて、すべての人々を玉座の前に集めるでしょう。

 

tuba"は「ラッパ」ですが、もともとは「管」の意味です。 英語なら"tube"。 現在のチューバではなく、トランペットのイメージがふさわしいですね。 "mirum"「不思議な」は、英語の"miracle"の語源。 "sonum"「音を」の原形はsonus"で、世界的なブランド「ソニー」はこの語に由来します。 「ソナタ」"sonata"もここからでしょう。 "thronum"は「玉座」。

 

 

 

なにしろ世界の終わりにはすべての死者が墓から出てよみがえり、最後の審判を待つのですから阿鼻叫喚の恐ろしい光景です。 これをフルオーケストラの威力で描き出そうとしたのがヴェルディのレクィエムですね。 モーツァルトはソロの重唱です。

Mors stupebit et natura, 

Cum resurget creatura, 

Judicanti responsura. : 人々が審判者に答えるためによみがえる時、死と自然は驚くことでしょう。

"mors"は「死」、"natura"「自然」はもともとは「出生」で、英語なら"nature"。 "creatura"は「被造物」ですが、「人間」の意味になります。 "responsura"「答えようとして」の原形"responso"「答える」から、英語の"response"となりました。 「レスポンス」はメールの書法では日本語化しています。 パソコン通信の時代に、「レスする」「レス拝見しました」のような使い方が定着したのです。

Liber scriptus proferetur, 

in quo totum continetur, : すべてが書き記されている書物が差し出されるでしょう。 

Unde mundus judicetur. : それによって世界が裁かれるのです。

"proferetur"の原形は"profero"「提出する」ですが、「公言する」「述べる」という意味があります。 英語の"professor"の語源はこの語です。 "mundus"は「世界」ですが、「下界」という意味もあり、この方が適切かも知れません。 ところで、辞書には最初に「化粧道具・装身具」とあります。 「化粧道具」の方が「世界」より重要だとは解せぬ話です。

ここでの「書物」とは、その人の善行、悪行がすべて記載されている恐るべきものです。 日本なら閻魔大王の閻魔帳にあたる?

Judex ergo cum sedebit, : 従って、審判者が座に着かれる時、 

Quidquid latet apparebit : 隠されていたものはすべて明らかになるでしょう。 

Nil inultum remanebit. : 罰されないものは何一つないでしょう。

"apparebit"の原形は"appareo"「出現する」「明らかになる」で、英語なら"appear"。 "remanebit"の原形は"remaneo"「残留する」。 英語なら"remain"。 "nil"の本来の綴りは"nihil"で「全くない」「虚無」の意味です。 ニヒリズム"nihirism"の語源です。

Quid sum miser tunc dicturus? : その時、哀れな私は何を言えるでしょうか。

"miser"「哀れな」「不幸な」は、"miserere nobis"等の形でミサ曲にはよく出てきます。 "dicturus"の原形は"dicto"「言う」で、英語の"dictation"、"dictionary"等の語源です。

Quem patronum rogaturus? : 誰を弁護人にお願いすればよいのでしょうか。

"patronum"の原形は"patronus"「保護者」「弁護士」。 「パトロン」として日本語化しています。 この句は、「最後の審判」にも弁護士を求めたくなる心理を示しています。

Cum vix justus sit securus. : 心正しい人でさえ不安を抱くでしょうに。

"justus"「公正な人」は、もともと"jus"「法律」から来ています。 これが英語の"just"、"justice"になりました。 "securus"「心配のない」「不安のない」は、英語の"secure"、"security"の語源。 "vix"は「ほとんど~ない」。

Rex tremendae

Rex tremendae majestatis, 

Qui salvandos salvas gratis, : 救われるべき者を恵みをもってお救い下さる、恐ろしい威光の王よ、

"Rex"は「王」。 ここではもちろんキリストを指します。 英語の"royal"はここから来ています。 "salvas"の原形は"salvo"「救済する」。 サルベージ"salvage"「海難救助」はここから来ているのですね。

Salve me, fons pietatis. : 慈悲の泉よ、私をお救い下さい。

"fons"は「泉」。 英語の"fountain"の語源です。

Recordare

Recordare Jesu pie, : 慈悲深いイエスよ、 

Quod sum causa tuae viae : あなたが地上においでになったのは私のためであったことを思い出して下さい。

"recordare"の原形は"recordo"「思い出す」。 レコード"record"の語源とすぐに分かりますね。

Ne me perdas illa die. : その日に私を破滅させないで下さい。

「その日」とは最後の審判の日のことです。 "ne"は「~でないように」。

Quaerens me, sedisti lassus : 私を尋ね求められたために、あなたは疲れてお座りになりました。

"sedisti" の原形は"sedeo" 「座る」。 英語の"seat"はここから来ています。

redemisti crucem passus : 十字架の苦しみに耐えて、あなたは私をあがなって下さいました。

"redemisiti"の原形は"redimo"。 「買い戻す」「あがなう」ですが、「救い出す」の訳の方が分かりやすいかも知れません。

Tantus labor non sit cassus. : これほどのご辛苦が無駄となることのありませんように。

"labor"は英語でも"labor"ですが、「労働」の意味の他に「辛苦」「困窮」という意味があります。 神がアダムとイヴをエデンの園から追放する時、苦労して食料を得なければならないという罰を与えました。 従って、労働は神罰であり、やむを得ず行う楽しくないものという考え方が欧米にはあるのです。

Juste Judex ultionis, : 罪の正しい審判者よ、 

Donum fac remissionis, 

Ante diem rationis. : 精算の日の前に赦免をお恵み下さい。

「精算の日」とは最後の審判の日を指します。

Ingemisco, tanquam reus : 私は罪人のように嘆きます。 

Culpa rubet vultus meus : 罪を思うと顔を赤らめます。 

Supplicanti parce Deus. : 神よ、嘆願する私をお惜しみ下さい。 

Qui Mariam absolvisti, : マグダラのマリアを許し、 

Et latronem exaudisti, : 盗賊の願いをお聞き届けになった神は、 

Mihi quoque spem dedisti. : 私にも希望をお与え下さいました。

「マグダラのマリア」はキリストの女弟子ですが、娼婦であったと言われています。 「盗賊」はイエスとともに十字架につけられた罪人のことです。

「マグダラのマリア」"Mary Magdalene"から転じて、一般名詞として"magdalene" 「更生した娼婦」、"magdalen"「娼婦更生施設、難民収容所」という単語が生まれました。 ヴェルディの「リゴレット」に登場するマッダレーナは、これを意識した命名ではないでしょうか。

Preces meae non sunt dignae : 私の願いは価値などないものではありますが、 

Sed tu bonus fac benigne, : 慈悲深いあなたはお聞き届け下さい。

"bonus"「良い」「好意のある」「慈悲深い」。 「ボーナス」の語源です。 好意で頂くものですから、もらえなくても仕方がない?

Ne perenni cremer igne. : 永遠の火によって焼き尽くされることのありませんように。 

Inter oves locum praesta, : 羊の間に場所を与え、 

Et ab haedis me sequestra, 

Statuens in parte dextra. : あなたの右側に立たせて私を山羊から引き離して下さい。

「羊」は最後の審判で救われる善人、「山羊」は地獄に堕ちる悪人を表します。 どうしてそうなのかは私には分かりません。

イエスとともに二人の罪人が十字架につけられますが、イエスの右側の罪人はイエスへの帰依を口にし、左側の罪人はイエスをののしります。 その結果、右の罪人は天国行き、左は地獄行きとなります。 「あなたの右側に立たせて」とは、天国に行かせてほしいということなのです。 さまざまな「キリストの磔刑」の絵に、イエスの右側(向かって左側)の罪人には天使が群がり、左側(向かって右側)の罪人には悪魔が群がっているものがありますが、これはその情景を現しているのです。 日本にも「右に出る者がない」というように右の方を上位とする表現がありますが、右大臣と左大臣とでは左大臣の方が上位の役職です。 調べてゆくと面白いですね。

Confutatis

Confutatis maledictis, : 呪われた者たちが口をふさがれ、 

Flammis acribus addictis, : 激しい炎に投じられる時、

"flammis"の原形は"flamma"「炎」。 「破滅」という意味もあります。 英語なら"flame"。 "addictis"の原形"addico"は「判決を下す」「委ねる」。

Voca me cum benedicts. : 私を祝福された者たちと共にお呼び下さい。

"voca"の原形は"voco"「呼ぶ」「招集する」。 英語の"vocal"、"voice"、"vocabulary"等はこれから来ています。

Oro supplex et acclinis, : 嘆願し、ひれ伏して私は祈ります。 

Cor contritum quasi cinis : 心は灰のように砕かれています。

"cinis"は「灰」ですが、特に埋葬用の灰。 「墓」の意味もあります。 シンデレラ"Cinderella"「灰かぶり姫」の語源です。

Gere curam mei finis. : 私の最後の不安をお心にかけて下さい。

"curam"の原形"cura"には「不安」の他「世話」「心配」の意味があり、英語の"care"の語源となりました。 "finis"「最後の」には「臨終の」の意味もあり、こちらが分かりやすいかも知れません。 英語なら"final"。

Lacrimosa

Lacrimosa dies illa, 

Qua resurget ex favilla 

Judicandus homo reus : 人が罪人として裁かれるために灰の中からよみがえるその日こそ、涙あふれる日です。

"lacrimosa"の原形は"lacrimosus"「涙の多い」「悲しむべき」。 催涙ガスのことを"lachrymatory gas"といいます。

Huic ergo parce Deus, : ですから神よ、彼らを惜しんで下さい。 

Pie Jesu Domine, : 慈悲深い主イエスよ、 

Dona eis requiem. : 彼らに安息を与えて下さい。 

Amen. : アーメン。

アーメン"amen"は子供でも知っていますが、これはヘブライ語で「真に」「確かに」という意味です。

Domine Jesu

Domine Jesu Christe, Rex gloriae, : 栄光の王、主イエス・キリストよ、 

libera animas omnium fidelium defunctorum 

de poenis inferni, et de profundo lacu : すべての世を去った信者たちの魂を、地獄の罰、また深い淵から解き放し、 

libera eas de ore leonis, : 獅子の口から救い出して下さい。

"animas"の原形"animo"は「生命」「魂」。 類語"animal"は「動物」より「生き物、被造物」の意味が先に来ます。 人間も"animal"なのです。 類語"anima"「空気」「生命」からアニメーション"animation"ができました。 もともとは「生気」「活気」の意味です。 絵が生命を持っているように活発に動くところからでしょう。

"poenis"の原形は"poena"「罰」。 ペナルティ"penalty"はここから来ています。 "inferni"は原形"infernus"で「地獄」。 「タワーリング・インフェルノ」という映画がありましたね。

ne absorbeat eas tartarus, : 彼らが冥府に呑まれることなく、

"tartarus"は「下界」「冥府」。 ギリシャ神話の暗黒神タルタロスから来ています。 "absorbeat"の原形は"absorbeo"「飲み込む」「飲み下す」。 衝撃を飲み込むからショックアブソーバーというわけです。

ne cadant in obscurum : 闇の中に落ちることのないように。

"obscurum"は「暗黒」。

sed signifer sanctus Michael 

repraesentet eas in lucem sanctam. : 旗手聖ミカエルが聖なる光のうちへと導いて下さいますように。

天使にも位があり、上位から熾天使、智天使、座天使、主天使、力天使、能天使、権天使、大天使、天使の9段階あるそうです。 ミカエル"Michal"は下から2番目の「大天使」にあたります。 天軍の長であり、最後の審判のときにラッパを吹き鳴らし、死者の心臓を量って天国に送るか地獄に送るかを選別する役割を果たします。 シンボルは「鞘から抜かれた剣」と「天秤」。 「最後の審判」の絵画に、死者を秤で選別している姿が描かれています。 もちろん天国行きは右側、地獄行きは左側に振り分けられるのです。

Quam olim Abrahae promisisti, et semini ejus. : かつてあなたがアブラハムとその子孫に約束されたように。

アブラハムはイスラエル民族の祖にあたる人物です。 ヘブライ語で「群衆の父」の意味とされています。 "semini"の原形"semen"は「種子」「苗」「子孫」。 セミナー"seminar"はここから来ています。 英語の"semen"は「精液」です。

Hostias

Hostias et preces tibi Domine laudis offerimus : 主よ、私たちは賛美のいけにえと祈りをあなたに捧げます。

"hostias"は原形"hostia"で「いけにえ」。 ただし捧げられるのは動物のいけにえではなく、キリストの体と血に当たるパンとぶどう酒です。

tu suscipe pro animabus illis, 

quarum hodie memoriam facimus : 今日思い出している魂のために受け入れて下さい。

"suscipe"は原形"suscipio"「受け入れる」「支持する」。 "pro"は「~のために」「~の前に」

fac eas, Domine, de morte transire ad vitam. : 主よ、それらの魂を死から生へと運んで下さい。

"morta"は「死ぬこと」「死神」。 "vitam"の原形は"vita"「生命」「精神」。 ビタミン"vitamin"はここから来ています。

Quam olim Abrahae promisisti, et semini ejus. : かつてあなたがアブラハムとその子孫に約束されたように。

Sanctus

Sanctus, sanctus, sanctus, : 聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな 

Dominus Deus Sabaoth. : 主なる神、万軍の主。 

Pleni sunt caeli et terra gloria tua. : 天も地もあなたの大いなる栄光に満ちています。

"sanctus"を三回繰り返すので、この部分は「三聖唱」と呼ばれます。 「三位一体」との関係と思います。 "Sabaoth"は「万軍」「天軍」。

この部分は旧約聖書のイザヤ書から取られていますが、これを歌うのは最高位の天使、熾天使のセラフィムです。 セラフィムには六枚の羽があり、二枚で顔を覆い、二枚で足を覆い、残る二枚で飛ぶのです。

Hosanna in excelsis. : 天の高いところにホザンナ。

"Hosanna"は「ばんざい」で、王に対する歓呼の叫びです。 ヘブライ語の"ho si a na"「今、救って下さい」に由来します。

Benedictus

Benedictus, qui venit in nomine Domini. : 主の名によって来られる方に祝福があるように。

"nomine"は原形"nomen"「名前」。 英語なら"name"。

Hosanna in excelsis. : 天の高いところにホザンナ。

Agnus Dei

Agnus Dei, qui tollis peccata mundi : 世の罪を取り除いて下さる神の子羊よ、

"agnus"は「子羊」。「神の子羊」はキリストのことです。 "tollis"の原形は"tollo"「引き上げる」「乗せる」「取り除く」。トラック"truck"にも関係があるでしょう。日本語の「トロッコ」は"truck"の訛りのようです。

dona eis requiem. : 彼らに安息を与えて下さい。 

Agnus Dei, qui tollis peccata mundi : 世の罪を取り除いて下さる神の子羊よ、 

dona eis requiem. : 彼らに安息を与えて下さい。 

Agnus Dei qui tollis peccata mundi : 世の罪を取り除いて下さる神の子羊よ、 

donna eis requiem sempiternam. : 彼らに永遠の安息を与えて下さい。 

Lux aeterna luceat eis, Domine 

Cum sanctis tuis in aeternum,quia pius es. : 慈悲深い主よ、彼らも聖人たちと同様に、永遠の光でお照らし下さい。

"quia"は「~だから」。

Requiem aeternam dona eis Domine, : 主よ、彼らに永遠の安息を与えて下さい。 

et lux perpetua luceat eis. : そして絶えない光が彼らを照らしますように。 

Cum sanctis tuis in aeternum,quia pius es. : 慈悲深い主よ、彼らも聖人たちと同様に、永遠の光でお照らし下さい。

 

9.参考文献

ラテン語文法

大西英文 「はじめてのラテン語」(講談社現代新書 1997年第1刷)

辞書

田中秀央編 「羅和辞典」(研究社 1998年第31刷)

小稲義男他編 「新英和中辞典第5版」(研究社 1985年初刷)

新村出編 「広辞苑第四版」(岩波書店)

聖書

日本聖書協会 「新共同訳和英対照聖書」

日本聖書教会 「教会公用聖書1995・1996年改訳」

ミサ、ミサ曲について

高橋正平 「レクィエム・ハンドブック」(ショパン 2001年第4刷)

三ヶ尻正 「ミサ曲・ラテン語・教会音楽ハンドブック」(ショパン 2002年第4版)

相良憲昭 「音楽史の中のミサ曲」(音楽之友社 1996年第五刷)

井上太郎 「レクィエムの歴史」(平凡社選書 1999年第1刷)

笠原潔 「西洋音楽の歴史」(放送大学教材 放送大学教育振興会1997年第1版第1刷)

楽譜

全音楽譜出版社編 「モーツァルト レクイエム」


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