J . S . バ ッ ハ 「 マ タ イ 受 難 曲 」

町田フィルハーモニー合唱団 安倍武明

 

ヨハン・ゼバスティアン・バッハ(Johann Sebastian Bach, 1685年3月21日 - 1750年7月28日)

18世紀に活動したドイツの大作曲家。 「近代音楽の父」と称される巨匠である。 ベートーヴェンはバッハの事を『「小川(ドイツ語でBachとは小川の意)」ではなくて「大海 (Meer)」である』と語ったそうだが、西洋音楽のすべてがバッハの作品に凝集されていると言っても過言ではない。

生前のゼバスティアン・バッハは作曲家というよりもオルガンの演奏家としてだけで知られていたが、彼の楽曲は息子や弟子たちによって細々と受け継がれ、死後100年前後経った後に再発見されて高く評価されるようになった。 彼の曲の巨大さ、偉大さを聴衆が理解できるようになるのにそれほどの時を要したのである。 チェリストの聖典と讃えられている「無伴奏チェロ組曲」も長く忘れ去られていたが、これを蘇演して真価を知らしめたのは巨匠パブロ・カザルスであったという事は広く知られている。 マタイ受難曲もほとんど忘れられていたが、これを再演して改めて世に紹介したのはフェリックス・メンデルスゾーンであった。

受難と受難曲

受難(Passion)とは神学用語で、イエス・キリストの裁判と処刑における精神的および肉体的な苦痛の事である。 語源はラテン語のpassus(苦しむ)である。 この「受難(Passion)」という言葉はイエスの成業と苦しみ(逮捕後の裁判や処刑)の全体を表す言葉として使われている。

イエス・キリストには自身の書いた書物はない。 残された文章はすべて弟子たちがまとめたものである。 これは仏教における仏陀やイスラム教におけるムハンマドも同様で、宗教の開祖というものは書物を著さないものであるらしい。 新約聖書の冒頭に置かれた「マタイによる福音書」が「マタイ受難曲」の原典であるが、これはイエスの弟子マタイによって書かれたとされるイエスの言行録である。 他にもマルコによる福音書、ルカによる福音書、ヨハネによる福音書等がある。 受難曲とは、新約聖書のマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの4つの福音書に基づくイエス・キリストの受難を描いた音楽作品で、多くの場合独唱・合唱・オーケストラの大規模な編成を伴う。 中でも最も有名な受難曲がバッハのマタイ受難曲とヨハネ受難曲の2つであるが、シュッツやハイドン等の作品も有名である。 テキストは新約聖書の福音書のいずれかを基にしているが、それらに加えてより自由なテキストも一緒に含まれている事が多い。 これらの受難曲は、歴史的には主にプロテスタントの教会で演奏された。 カトリックにはこのような音楽作品を演奏する伝統はないが、今日ではカトリックが主な宗教である国々でも教会の中で、あるいはコンサートホールで多くの受難曲が上演されている。 バッハはマタイ受難曲の他にヨハネ受難曲(BWV245)、ルカ受難曲(BWV246)、マルコ受難曲(BWV247)の作曲をも行ったとされるが、ルカ受難曲は真作と見なされておらず、マルコ受難曲は台本のみが現存し、曲は消失している。 従って現在に残るバッハ真作の受難曲はマタイとヨハネだけなのである。

バッハのマタイ受難曲

バッハのマタイ受難曲(Matthaus-Passion)は「マタイによる福音書」の26、27章のキリストの受難を題材にし、聖句(聖書からの引用)、伴奏付きレシタティーヴ、アリア、コラールによって構成されている。 コラールはドイツ・プロテスタント教会特有の賛美歌で、マルチン・ルターによって始められた。 バッハは当時歌われていたコラールを巧みに取り入れている。 聖句とコラール以外の歌詞は、ピカンダーというペンネームで知られるクリスティアン・フリードリヒ・ヘンリーツィ(1700-1764)の手になる。 バッハの全作品中の最高峰に位置づけられ、宗教作品でありながら様々なドラマが肺腑を抉るような切実さで描かれており、その壮大さ、精緻さ、大胆さ、精神性は比類なく、クラシック音楽中の最高傑作とさえ評されている。

1727年4月11日、ライプツィヒの聖トーマス教会において初演され、その後改訂が加えられて1736年に最終的な自筆稿が浄書された。 バッハの死後、長く忘れられていたが、1829年3月11日、弱冠20歳のフェリックス・メンデルスゾーンによって歴史的な復活上演がおこなわれた。 今から見れば十全な内容ではなかったが、これを契機として、当時は一部の鍵盤楽器練習曲などを除いて忘れ去られていたバッハの中・大規模作品をはじめとする音楽が再評価される事になったのである。

登場人物は次の通り。

福音史家(Evangelista) (テノール)

福音史家とは、本来新約聖書に収められている四つの正典福音書の著書を指す。 すなわち、マタイ福音書のマタイ、マルコ福音書のマルコ、ルカ福音書のルカ、ヨハネ福音書のヨハネである。 受難曲においては語りを務める重要な役である。

イエス(バス)

ユダ(バス)

イエスの12人の使徒の1人で、裏切ってイエスを銀30枚で売り渡すが、後悔して自殺する。

ペトロ(バス)

イエスの12人の使徒の1人。 最初にイエスの弟子になった。 イエスの受難において逃走し、イエスを否認したが、その事を大いに悔い嘆く。

大祭司(バス)

捕らえられたイエスを尋問する。 名はカイアファまたはカヤパ。

ピラト(バス)

ユダヤを治めたローマの総督。 イエスに同情的だったが、民衆の声に押されてイエスに死刑の判決を下す。

ピラトの妻(ソプラノ)

裁判から手を引くようピラトに頼む。

第1の女中(ソプラノ)、第2の女中(アルト)

ペトロに、イエスと一緒にいたのを見たと問いかけ、ペトロの否定を引き出す。

テノール、バス、ソプラノ、アルトにアリアが割り当てられている。

合唱は、2組の混声合唱および1組のソプラノ・リピエーノ(追加されたソプラノの意。よく児童合唱が起用される)で成り、場面に応じて、信者、弟子たち、兵士たち、群衆等の役を演ずる。

曲は大きく二部からなる。 第一部は第1~29曲で、イエスの捕縛までを扱う。 第二部は第30~68曲で、ピラトのもとでの裁判、十字架への磔、刑死した後、その墓の封印までを扱う。 アリアは合計13曲あり、これらのうち8曲は伴奏付きレシタティーヴとアリアの組み合わせである。 同じ旋律が調、和声、歌詞を変えて現れる有名な5曲の「受難コラール」など、コラールは15曲ある。 受難コラールの旋律は実にハスラーの世俗曲、「我が心は千々に乱れ」であり、甘い愛の歌がこのような峻厳な表現に変わるとは信じがたいほどである。 第10曲、第37曲目のコラールの旋律も、イザークの世俗曲「インスブルックよ、いざさらば」である。

バッハは記譜において様々な象徴を表していることが、多くの学者の研究で浮かび上がってきている。 例を挙げれば、音符をつなぐと十字架が現れる十 字架音型は随所に現れる。 また、第9曲bは11小節から成り、第9曲eは僅か5小節の中に’Herr’という語が11回現れるが、これは12人の弟子のうち、ユダを除く11人が声を挙げたことを暗示するのだと言われる。 こういうことは楽譜を参照しないとなかなか分からないが、バッハがドラマの内容をいかに的確に表しているかは音楽を聴けば明々白々である。 理解の一助として、字幕を付けて演奏する。

使用楽譜について

バッハ没後100年に当たる1850年にバッハ協会が設立され、バッハの全作品を出版するという事業が開始された。 この事業によって出版された全集は、今では「旧バッハ全集」と呼ばれている。 この全集はバッハの作品を広く世に知らしめて演奏出来る形にする事を目標としたため、資料考証は必ずしも充分でなかったと言われている。 この全集は1899年に完成し、1900年に出版された。

旧バッハ全集が完成したその年、新バッハ協会が設立されたが、没後200年の1950年になって新しい全集を発刊する事業が開始された。 徹底した資料の考証を行うことを前提に事業が進められ、2000年に至って漸く完成したが、これが「新バッハ全集」と呼ばれているものである。 我々が今回使うベーレンライター版(全音楽譜出版社の出版)は新バッハ全集に基づいている。 以前よく用いられたペーター版は旧バッハ全集に拠っている。

バッハの作品番号には、BWVという番号が広く用いられている。 これはBach-Werke-Verzeichnisの略であり、音楽学者ヴォルフガング・シュミーダーが1958年に発表したもので、シュミーダー番号とも呼ばれる。 ジャンル毎に整理されている事が特徴で、作曲順にはなっていない。

ド ヴ ォ ル ザ ー ク 「 ス タ ー バ ト ・ マ ー テ ル 」

町田フィルハーモニー合唱団 安倍武明

 

1870年に入り、1841年生まれのアントニン・ドヴォルザークに漸く陽が当たってきた。 作品が認められはじめ、1873年には教え子のアンナ・チェルマーコヴァーとめでたく結婚して、聖ヴォイチェフ教会のオルガニストの職も得た。 いよいよ順風満帆かと思えたのだが相次ぐ不幸が夫妻を襲うことになる。 1875年9月に生まれた長女を僅か生後2日で失い、1877年8月には生後11ヶ月の次女が劇薬の誤飲で亡くなり、その上9月、ドヴォルザーク36歳の誕生日の当日に、3歳6ヶ月の長男までもが天然痘のため死んでしまう。 (しかし、彼はその後、二男四女の子宝に恵まれた)

長女に死なれてまもなく、彼はその悲しみを動機として「スターバト・マーテル」に着手した。 しかし他の仕事のためにスケッチ段階で中断していたのだが、次女と長男の相次ぐ死に直面して作曲を再開し、1877年11月に完成させたのであった。

初演は1880年12月23日にプラハで行われ、大成功を収めた。楽譜が1881年にジムロックから出版されるや、1882年のブルノでの演奏、ブタペストでのハンガリー初演、1883年ロンドン、1884年作曲者自身の指揮によるロンドン再演、ピッツバーグでのアメリカ初演、1886年のウィーン初演と各地で演奏されて聴衆に深い感銘を与え、たちまちにして幾多の名作がある「スターバト・マーテル」の中でも指折りの名曲として親しまれるようになった。 日本初演はさほど以前ではなく、1964年1月28日に渡辺暁雄指揮、ソプラノ毛利純子、アルト藤田みどり、テノール森敏孝、バリトン岡村喬生、東京都民合唱団、日本フィルハーモニー交響楽団によって行われた。 なかでも第3曲「愛の泉である聖母よ」は、その独創的な美しい旋律によって広く親しまれ、合唱コンクールの課題曲にも取り上げられている。

「スターバト・マーテル」は、十字架に掛けられたイエスのもとで聖母マリアがその死を嘆く悲痛な詩である。 "Stabat Mater dolorosa"(悲しみの聖母はお立ちになっていた)と歌い出されるのでその名があり、日本語訳では「悲しみの聖母」となっている。 13世紀に成立し、1712年に公認されてカトリックの典礼文に入った。 3行を1連として20連からなる長大な詩であるが、数多の作曲家がこれに付曲している。 15世紀のジョスカン・デ・プレ、16世紀のパレストリーナから、現代のペンデレツキ、ペルトに至るまで、著名な作曲家が作品を残しているが、ペルゴレージ、ロッシーニ、ヴェルディ、ドヴォルザークの諸作が有名である。 なかでもドヴォルザークの曲が一頭地を抜いて親しまれているのは、なんといっても上に書いたような個人的な不幸による作曲者の深い悲しみが、切々と迫ってくるためであろう。

第一曲 "Stabat Mater dolorosa" 四重唱と合唱

全10曲中で最も長大な曲。 長い序奏に次いでテノールが静かに歌い出す。 各パートが加わってくるが、やがてテノールに特徴的な半音階的下降音型の主題が現れる。 これはキリストの十字架からの下降を象徴していると思われるが、間もなくテノール独唱がこれを再現する。 この主題は最終曲にも現れ、全曲を貫く柱とも言うべき性格のものである。

(訳)聖母は御子が架けられている十字架のもとに、涙ながらに悲しみに暮れてお立ちになっていた。 嘆き、悲しみ、苦しむ聖母の御魂を剣が貫いたのだ。 かつては祝福された、神のひとり子の御母のお悲しみは、いかほどであっただろうか。 愛に満ちた聖母は、我が子が受けた贖罪を見て悲しみ、苦しまれた。

第二曲 "Quis est homo" 四重唱

アルト独唱から歌い始め、美しく繰り広げられる。 コーダは全独唱者が同じ「ホ」音を繰り返し呟き、ティンパニが特徴あるリズムを刻む。

(訳)キリストの御母がこのようにお苦しみになるのを見て、涙しない者がいるであろうか。 御子と共にお苦しみになっている御母を見て、悲しまずにいられる者がいるであろうか。 民の罪のためにイエスが責められ、むち打たれるのを聖母はご覧になった。 愛しい御子が死の苦しみから解き放たれ、息絶えるのを聖母はご覧になった。

第三曲 "Eja, Mater, fons amoris" 合唱

全曲を通して最も有名で、単独で歌われることも多い。 印象深い旋律は主にバスが担当する。

(訳)さあ、聖母よ、愛の泉よ、私にもあなたの悲しみを感じさせ、あなたと共に嘆かせて下さい。

第四曲 "Fac, ut ardeat cor meum" バス独唱と合唱

キリストに嘆願するバス独唱と、キリストを悼む天使の声のような女声合唱の対比が際立つ。 合唱のテノールには第一曲の主題に似た半音階的下降音型が現れる。

(訳)もしお許し頂けるなら、私の心を神なるキリストへの愛の中に燃えさせて下さい。 聖母よ、私の心にも十字架に釘打たれた傷を深く刻み込んで下さい。

第五曲 "Tui Nati vulnerati" 合唱

なだらかな美しい曲。 のどかな感じさえする。

(訳)私のために苦しみをお受けになることになった御子の苦痛を、私にもお分け下さい。

第六曲 "Fac me vere tecum flere" テノール独唱と合唱

テノール独唱と男声四部合唱が同じ旋律を交互に歌って行く清澄な曲。 後半にはフーガのストレッタに似た音型で緊迫感が現れる。

(訳)私の命のある限り、十字架に架けられたイエスの苦しみを味わうために、あなたと共に真の涙を流させて下さい。 あなたと共に十字架のもとに立ち、共に嘆き悲しむことを私は願います。

第七曲 "Virgo virginum praeclara" 合唱

静謐な祈りの曲。合唱が始まる部分は無伴奏となる。

(訳)乙女たちの中でも最も気高い乙女よ、私を退けることなく、共に嘆かせて下さい。

第八曲 "Fac, ut portem Christi mortem" ソプラノ独唱とテノール独唱

ソプラノ独唱に続いてテノール独唱が加わる。

(訳)私にもキリストの死を負わせ、苦難を共に受けさせ、その傷を再び負わせて下さい。 私にも傷を負わせ、十字架の血に私を沈めて御子の愛に浸して下さい。

第九曲 "Inflammatus et accensus" アルト独唱

聖母への願いと祈りを歌う。深い感銘を誘う見事な曲で、作曲家の生前、すでに歌手のリサイタルの曲目に加えられていた。

(訳)聖なる乙女よ、最後の審判の日に私が地獄の炎に焼かれないようにお守り下さい。 どうか私を十字架で守り、キリストの死によって支え、恩寵にあずからせて下さい。

第十曲 "Quand corpus morietur" 四重唱と合唱

第一曲の音型を再現しながらアルト独唱とテノール独唱が歌い始め、やがて四重唱になり、合唱も加わって輝かしい最初のクライマックスへ至る。 四重唱による移行部を経て「アーメン」の二重フーガが開始され激しく盛り上がるが、最後は諦念に満ちた静けさに変わって全曲を結ぶ。

 

(訳)私の肉体が死ぬ時に、天国の栄光を私の魂にお授け下さい。アーメン

ヨ ー ゼ フ ・ ハ イ ド ン 「 天 地 創 造 」

町田フィルハーモニー合唱団 安倍武明

 

1792年、ロンドン滞在中のヨーゼフ・ハイドンは、ウエストミンスター寺院の中の聖マーガレット教会でヘンデルの「メサイア」を聴いた。 彼の手帳には、「練習に800人、実際の演奏は2000人で行われた」という記載がある。 今までエステルハージ家で手掛けてきたオーケストラ編成とは段違いの、とてつもない大規模な演奏会であった。 ハイドンはこの演奏会に大いに触発され、これからは少数の王侯貴族のためにではなく、このような大規模で多くの聴衆から喝采を受け、後世に名を残す作品を書こうと思い立ったと推定される。 これが「天地創造」への口火となった。 時にハイドン60歳。30年近く仕えたエステルハージ家を辞去してウィーンに移り住んだが、演奏会興行主であるヨハン・ペーター・ザロモンからの招きに応じてロンドンを訪問したところであった。 1791年から1792年のロンドン訪問は大成功で、さらに1794年から1795年に2回目の訪問を行った。 これを契機に生まれた「驚愕」、「軍隊」、「時計」、「太鼓連打」、「ロンドン」等の名作交響曲群は、後世「ザロモン・セット」と呼ばれる。 しかし、彼は交響曲104番「ロンドン」を最後として交響曲を書くことを止めた。 ハイドンの眼は、より大規模なオラトリオやミサ曲へと向いたのである。

ハイドンがロンドンで手に入れたオラトリオ用台本は、旧約聖書の「創世記」とジョン・ミルトンの叙事詩「失楽園」に基づいたものであった。 もちろん英語版である。 もともとはヘンデルのためにリドレーという人が書いたものと言われるが、この台本自体はその後行方不明になって現在に至るも発見されていない。 1795年にハイドンがウィーンに持ち帰った台本をドイツ語に翻訳し、さらにさまざまな助言を与えたのはハイドンの盟友、外交官にして音楽愛好家であったゴットフリート・ヴァン・スヴィーテンである。 初演は1798年4月29日にウィーンのシュヴァルツェンベルク候の宮殿で行われた。 劇場での初演は1799年3月19日、ブルク劇場においてである。 この日はハイドンの命名祝日であった。 いずれもハイドン自身の指揮で行われたが、圧倒的な評価を得て大成功となり、以来各地で歓呼の声で迎えられてハイドンの代表作の一つとして広く知られている。

三部構成になっており、第一部と第二部では3人の天使、ガブリエル(ソプラノ)、ウリエル(テノール)、ラファエル(バス)、それに合唱で、神が6日間で天地を創造した様子が歌われ、第三部ではソプラノがイヴ、バスがアダムに役を変えて、楽園での二人の愛が歌われる。 この曲の特色の一つは、音楽が歌詞の内容に従って絵画のように鮮やかに情景を映し出していることにある。

 

第一部:カオス(混沌)の描写から創造の四日間の様子

第一日目

第1曲(序曲)

カオスの描写。 冒頭にハ短調の基音が重々しく鳴り響く。深い淵から泡が立ち上るような上昇音型が印象的である。

第2曲 レチタティーフと合唱

ラファエルが、神が天と地を創ったことを語り、やがて合唱が光の創造を告げる。 ハ短調から一瞬にハ長調に転ずる効果は素晴らしい。

第3曲 アリアと合唱

ウリエルが聖なる光りの前に地獄の亡霊が消え去る有様を歌い、第1日目が終わったことを告げる。 合唱が新しい世界の出現を祝う。

第二日目

第4曲 レチタティーフ

ラファエルが、神が大空を創って水と分けたことを歌うが、嵐や稲妻、雨や雪が出現したことを歌うたびにオーケストラは雄弁にその現象を表現する。

第5曲 独唱と合唱

ガブリエルが合唱を従えて神のみ業を晴れやかに称え、第2日目の終了を告げる。

第三日目

第6曲 レチタティーフ

ラファエルが、神が陸と海を分けられたことを語る。

第7曲 アリア

ラファエルが荒れ狂う海、そびえ立つ山、平野を貫く河、谷間にせせらぐ小川を表情豊かに歌う。

第8曲 レチタティーフ

ガブリエルが、神が草や果樹を創ったことを語る。

第9曲 アリア

ガブリエルが緑と花々に満ちた野原、果物の実った樹木、山を覆う森の様を、コロラトゥーラを交えて華麗に歌う。

第10曲 レチタティーフ

ウリエルが、天使たちが第3日目の終了を告げ、神を称えたことを語る。

第11曲 合唱

神に向かって歓喜の声を挙げよ、と高らかに喜悦に満ちて歌う。

第四日目

第12曲 レチタティーフ

ウリエルが、神が昼と夜を分け太陽と月と星を創ったことを語る。

第13曲 レチタティーフ

日の出を表す壮麗な前奏に導かれ、ウリエルが活気溢れる太陽を、後半には曲想を一転して静かな月を、数知れない星を歌い、第4日目の終了を告げる。

第14曲 合唱と重唱

第13曲から切れ目なしに続く。 「天は神の栄光を語り、そのみ手の業を大空が指し示す」と合唱が歌い出し、やがてガブリエル、ウリエル、ラファエルも加わって壮大に神を讃美しながら第一部を閉じる。 この合唱は、全曲の中で最も知られている部分であろう。

 

第二部:天地創造の第五日と第六日の様子

第五日目

第15曲 レチタティーフ

ガブリエルが、神が水と空に生き物を創ったことを語る。

第16曲 アリア

活力に満ちた前奏に続いて、ガブリエルが大空を飛翔する鷲、楽しげにさえずる雲雀、愛のささやきを交わす鳩、甘美な歌を響かせるナイチンゲール等を華やかな技巧を織り交ぜて歌う。

第17曲 レチタティーフ

ラファエルが、神が鯨などさまざまな生き物を創ったことを語り、厳かに神の言葉を伝える。 「産めよ、増えよ、神と共にあって喜べよ」

第18曲 レチタティーフ

ラファエルが、天使たちが竪琴を奏でながら第5日目の奇跡を歌ったことを告げる。

第19曲 三重唱

ガブリエル、ウリエル、ラファエルが、豊かな自然の中で生き生きと動き回る鳥や魚の様子を歌い継ぎ、神のみ業を称える。

第20曲 三重唱と合唱

ガブリエル、ウリエル、ラファエルが力強く神への讃美を歌い、合唱もそれに和する。 この部分の歌詞は2節しかない。「主はその力において偉大である。その栄光は永遠である」

第六日目

第21曲 レチタティーフ

ラファエルが、神の言葉を伝える。 「地は家畜と、這う虫と、地の獣をその種に従って出せ」

第22曲 レチタティーフ

ラファエルが、大地が神の言葉に従ってすべての種の生き物を産みだしたことを歌う。 獅子の吠える様、虎や鹿や馬が走る様、牛や馬がのんびり草を食む様、虫の羽音など、オーケストラが鮮やかに描写して行く。

第23曲 アリア

オーケストラが壮麗に鳴り渡り、ラファエルが、天は輝き、野はきらびやかに装い、空には鳥が満ち、水は魚の群れで溢れ、地は獣の重みで圧されるが、まだ完成したわけではない、そこには主の恵を称えるべき生き物(人間)が欠けているからだと歌う。

第24曲 レチタティーフ

ウリエルが、神が自分に似せて人間の男女を創ったことを語る。

第25曲 アリア

ウリエルが、気品と偉大さと美と力と勇気を備えた自然の王者である男が現れ、そばには男から創られた淑やかな妻が寄り添う様を柔らかに歌う。

第26曲 レチタティーフ

ラファエルが、神が創られた全ての物を見て良しとされ、天使の合唱が高らかな讃歌で第6日目の終わりを誉め称えたと語る。

第27曲 合唱

「大いなるみ業は成就した」と力強く神を讃美する。

第28曲 三重唱

ガブリエルとウリエルの二重唱で始まり、ラファエルの歌を挟んで、最後は三重唱でひたすら美しく神への讃美を歌う。

第29曲 合唱

「大いなるみ業は成就した。我らの歌は主の讃美である」と歌い出す壮麗な合唱。 やがて雄大なフーガとなり、「アレルヤ」を連呼して力強く第二部を締めくくる。

第三部:アダムとエヴァの登場

第30曲 レチタティーフ

楽園を表す美しい前奏に導かれ、ウリエルが手を取り合って楽園を行く幸福なアダムとエヴァの姿を語る。

第31曲 二重唱と合唱

アダムとエヴァが神への感謝を歌い、合唱も加わる。ハ長調からヘ長調に転調してテンポが速まり、太陽、星、雲、霧、泉、草木、動物たち、森、山、河、これら全てのものが主を称える歌に和せよと歌い、ついに「我々はとこしえに神を讃美する」という力強く劇的な合唱に至る。

第32曲 レチタティーフ

アダムが「生涯の伴侶よ、共に行こう」と問いかけ、エヴァは「あなたに従うことは喜びと幸福」と応じる。

第33曲 二重唱

アダムとエヴァの愛の二重唱。華やかな技巧を織り込んだ美しい旋律で二人は情熱的な愛を歌う。

第34曲 レチタティーフ

ウリエルがアダムとイヴの夫婦に祝福を与える。

第35曲 合唱と四重唱

 

全曲の掉尾を飾る大合唱。「主に向かって歌え、すべての声よ」と歌い出す合唱は壮大なフーガとなり、独唱者4人(アルトは団員が受け持つ)も加わって最後は「主の栄光が永遠でありますように!アーメン!アーメン!」と感動的に力強く全曲を結ぶ

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Machida Philharmonic Chorus

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