ブ ル ッ ク ナ ー 「 テ ・ デ ウ ム 」

町田フィルハーモニー合唱団 安倍武明

 

ブルックナーは交響曲の作曲家として知られているが、12才の時に故郷の近くのザンクト・フローリアン修道院の聖歌隊に入っている。 従って、彼にとって合唱曲はごく身近な存在であった。 ブルックナーの宗教合唱曲はミサ曲第2番ホ短調、ミサ曲第3番ヘ短調、それに今回演奏するテ・デウム等が有名であり、いづれも傑作として評価されている。

テ・デウム(Te Deum)とは、神に感謝する讃歌であり、教会での聖務日課の他に祝賀行事でも歌われる。 この名称は、曲が"Te Deum laudamus"(神よ、私たちはあなたを讃美し)という言葉から始まることから来ているが、形式が比較的自由で、大規模な編成が可能なことから多くの作品が知られている。 中でも、このブルックナーの作品はドイツ圏の作曲家の手になる最高傑作とされ、彼の代表作にも数えられる。 オルガンを思わせる力強い重厚な響きの中に、敬虔な感情が息づいている。 随所で無伴奏となること、独奏ヴァイオリンが活躍することも、際だった特徴である。

作曲はブルックナー57才の1881年5月から始められ、1884年3月に完成した。 これに平行して第6,第7交響曲を書いている。 初演は1885年5月、彼自身の指揮によるピアノ2台版。 オーケストラ版の初演は1886年1月、ハンス・リヒター指揮のウィーンフィルによって行われ、大変な好評を得た。 ブルックナーが存命中に30回も演奏されたとのことである。 ブルックナーの死の年である1896年1月12日、彼は最後となる演奏会に赴いたが、この時聴いたのがこのテ・デウムであった。

ブルックナーは、もし第9交響曲の終楽章が未完成に終わったなら、このテ・デウムを代わりに使っても良いと語ったといわれる。 それほどこの曲に愛着があり、自信作であったのであろう。

オーケストラの編成は、フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、テューバ、ティンパニー、弦楽五部、オルガンである。

第1曲 Te Deum

ハ長調。特徴ある弦の音型に乗って、ユニゾンの合唱が高らかに"Te Deum laudamus"と讃歌を歌う。 独唱が穏やかに別の主題を歌い、次いで合唱が"Sanctus"を歌って頂点に達する。 その後、無伴奏の"aperuisti"で神秘的な感情を覗かせるが、やがて始めの音型が再現する。

第2曲 Te Ergo

ヘ短調。 独唱者のみの部分。 テノールが"Te ergo quaesumus"と表情豊かに歌い出す。 他の独唱者も加わってくるが、旋律は常にテノールにあり、それを独奏ヴァイオリンが美しく彩るのである。

第3曲 Aeterna Fac

ニ短調。 "aeterna faccum"とユニゾンの合唱が力強く歌い始める。 旋律線の大きな上昇、下降を経て、末尾に至って無伴奏で"in gloria numerari"と激しく訴える。

第4曲 Salvum Fac

ヘ短調。 第2曲と同じ旋律をテノール独唱が歌い出すが、今度は合唱が加わる。 次いでハ長調になり、"Per singulos dies"と高々と讃歌を歌い、息の長い半音階的進行で静かに終わる。

第5曲 In te Domine speravi

 ハ長調。 独唱者4人の重唱で始まり、次いで"In te Domine,speravi","non confundar in aeternum"を主題とする緻密な二重フーガが合唱によって開始される。 やがて頂点に達すると力強い斉唱となり、圧倒的な迫力で堂々と曲を閉じる

ヴ ェ ル デ ィ 「 レ ク イ エ ム 」

町田フィルハーモニー合唱団 安倍武明

 

「オペラ王」ジュゼッペ・ヴェルディ(1813-1901)は87年の生涯中に26曲のオペラを作った。 この作品群は、次のように三つに分類されるのが通例である。

処女作「オベルト」(1839)から第15作「スティッフェリオ」(1850)まで

ドニゼッティ等、先達の作風の模倣、継承の時期。

第16作「リゴレット」(1851)から第24作「アイーダ」(1871)まで

ヴェルディの個性が確立され、傑作群が生み出された。

「リゴレット」「トロヴァトーレ」「椿姫」の三つは「国民的三部作」と呼ばれ、今に至るまで不動の人気を誇っている。

第25作「オテロ」(1887)と最後のオペラ「ファルスタッフ」(1893)まで

長い沈黙の後に到達した彼の円熟の境地を、余すところなく示している。

「レクィエム」が完成したのは中期の最後にあたる1874年。 徹頭徹尾オペラ的手法で書かれた絢爛たる劇的な表現、彼のオペラを彷彿させる雄渾で親しみやすい旋律によって、初演時から熱狂的な賞賛を浴びた。 ヴェルディは「アイーダ」と「レクィエム」の大成功で、「オペラ王」の地位を勝ち得たのである。 その後、新境地を開いた「オテロ」を引っ提げて聴衆を驚嘆させるまで、10年以上の沈黙が必要であった。

「レクィエム」の発端は、1868年のロッシーニの死去にさかのぼる。 ヴェルディはその死を悼むため、当時のイタリアを代表する13人の作曲家の連作によるレクィエムを完成し、一周忌に演奏することを提案したのである。 人選、曲の分担は決定し、ヴェルディも「Libera me」を書いて、ともかくレクィエムは完成した。 ところが、作曲・出演をすべて無報酬とするというヴェルディの方針に異を唱える動きが出て、ついに計画は挫折の止むなきに至り、草稿は放置されることになってしまう。

1873年に、ヴェルデイが深い敬意を払っていた国民的詩人のアレッサンドロ・マンゾーニが88才で死去した。 ヴェルディは彼のために新しいレクィエムを書くことを決意し、かつての「Libera me」も加筆して終曲に置いて、1874年5月22日、マンゾーニの一周忌にミラノのサン・マルコ寺院で初演を行った。 これが本日演奏する「レクィエム」であって、その成立の由来から「マンゾーニのレクィエム」とも呼ばれる。

曲は次の七つの部分からなり、全曲演奏には70~80分かかる大曲である。

第1曲 「Requiem et Kyrie 永遠の安息を与え給え、および主、憐れみ給え」イ短調

チェロの静かな下降音型で始まり、イ短調の和音が示された後、「Requiem」を合唱の男声、さらに女声で、続いて混声で「Requiem aeternum 主よ、永遠の休息をかれらに与え給え」と、つぶやくようにひそやかに歌う。 女声の「dona eis,Domine 主よ、我らに与え給え」を経てイ長調に転じ、「et lux perpetua luceat eis 絶えざる光を彼らの上に照らし給え」と合唱が最弱音で歌う。 ヘ長調に転調して、無伴奏の合唱が「Te decet hymnus,Deus,in Sion 主への称賛をふさわしく歌うのはシオンにおいてである」を、バスから上声部へフガート風に展開し、静かに結ばれた後に最初の「Requiem」が再現する。

独唱テノールが力強く「Kyrie eleison 主よ、憐れみ給え」を歌い出し、独唱バス、独唱ソプラノ、独唱メゾ・ソプラノが次々に加わる。 合唱もこれに加わって転調を重ねながら高揚した後、最弱音の静かなイ長調の和音で閉じられる。

第2曲 「Dies irae 怒りの日」

最後の審判の恐怖と、それを免れるための祈りからなる、レクィエムの中枢部。 九つの曲で構成されているが、ヴェルディのオペラ的手法が最も効果を上げ、凄まじい表現を可能にしている。 冒頭部は劇音楽等にもしばしば利用され、非常に有名である。

1.「Dies irae 怒りの日」ト短調

爆発のように強烈な主和音が全合奏で4回奏され、最強音の合唱が「Dies irae 怒りの日」を絶叫する。 激しい下降音型は、地獄へ堕ちる者を象徴しているかのようである。 嵐のような感情が収まってくると、合唱が「Quand Judex est venturus 審判者が来給うとき」と恐ろしげにささやく。

2.「Tuba mirum くすしきラッパの音」ヘ短調

ステージ上の金管に左右の客席に配置された金管が加わって壮大なファンファーレを吹き鳴らす。 これは死者を呼び覚ます合図 にあたり、凄絶な効果を発揮する。 合唱バスが「Tuba mirum spargen sorum この世の墓の上に、不思議な光を伝えるラッパが鳴り渡る」と激しく歌い、全合唱が繰り返す。 イ長調の主和音でぴたりと停止すると、死への足取りのようなとぎれとぎれの弦の音 型 に乗って、独唱バスがニ短調で「Mors stupebit et natura 人間が審判者に答えるためによみがえる時、死と自然界は驚くであろう」と歌う。

3.「Liber scriptus 書き記された書物は」ニ短調

独唱メゾ・ソプラノが「Liber scriptus proferetur その時、この世を裁く全てのことが書き記されている書物が持ち出されるであろう」と歌い、合唱が背後でおののくように「Dies irae」を繰り返す。 やがて弦の大波のような走句に導かれて、最強音の合唱が前とは異なる音型の「Dies irae」を歌うが、やがて弱音のニ音の長いユニゾンとなって停止する。

4.「Quid sum miser 憐れなる我」ト短調

ファゴットの分散和音に乗って、独唱メゾ・ソプラノが「Quid sum miser tunc dicturus その時憐れな私はどんな弁護者に頼もうか」と歌い出し、独唱テノール、独唱ソプラノが加わって美しい三重唱になる。

5.「Rex tremedae みいつの大王」ハ短調

合唱バスがハ短調で「Rex tremedae majestatis 恐るべきみいつの大王よ」と厳かに呼びかけると、 合唱テノールが三声部に分かれて繰り返す。 独唱バスが「Salva me, fon pietas 憐れみの泉よ、私をも救い給え」と明るく歌って独唱が次々に加わり、合唱と共に転調を重ねながら「Salva me」を繰り返してゆく。

6.「Recordare 思い給え」ヘ長調

独唱のメゾ・ソプラノとソプラノが「Recordare jesu pie 慈悲深いイエスよ、思い給え」と歌って、オペラの二重唱を思わす流麗な重唱を繰り広げる。

7.「Ingemisco 我は嘆く」ハ短調

独唱テノールが「Ingemisco,tamquam reus 我はとがあるものとして嘆く」と、これまたオペラのアリアのように美しく歌う。 この部分はテノールの独唱曲として演奏会で取り上げることもある。

8.「Confutatis 判決を受けたる呪われし者は」ホ長調

弦の急速な上昇音型に導かれ、独唱バスが「Confutatis maledicitis 呪われた者どもを罰し、激しい火の中に落とし給う時」と激しく歌い出すが、続く「Voca me cum benedictis 我を選ばれた者の一人として招き給え」では柔和な表情を見せる。 突然 Dies irae冒頭の激しい部分が再現するが、流麗な弦の下降音型で遮られる。

9.「Lacrymosa 涙の日なるかな」変ロ短調

この曲の中で最も美しい部分である。 独唱メゾ・ソプラノが「Lacrymosa dies illa 罪ある人が裁かれるために、塵から甦る日こそ、涙の日である」と歌うと、独唱バスが受け継ぐ。 合唱の女声三部と独唱のソプラノ、メゾソプラノが「Huic ergo parce, Deus 願わくば神よ、彼を憐れみ給え」を優しく歌い、合唱と独唱の男声はユニゾンで主題を歌って行く。 無伴奏で独唱が柔らかな四重唱を聴かせ、合唱と全合奏が加わり、最弱音から一気にクレッシェンド、デクレッシェンドする印象的なト長調の和音による「Amen」で静かに結ぶ。

第3曲 「Domine Jesu 主イエズス」変イ長調

独唱だけの部分。 チェロの示す主題に続いて、メゾ・ソプラノとテノールが「Domine Jesu Christe 主イエズス・キリストよ」と歌い、バスが加わって「Libera animas omnium fidelium de functorium 死んだ信者の全ての霊魂を地獄の口から解き放ち給え」となって、ソプラノも加わってくる。 バスから順次に「Quam olim Abrahae promisiti et semini ejus 主がその昔、アブラハムとその子孫に約束し給うたごとく」と入ってゆき、ソプラノに続いてテノールの強烈な印象を与える半音階的下降を経てハ長調で終止する。 テノールが「Hostias et preces tibi 主よ、称賛のいけにえと祈りを我らは捧げ奉る」と抒情的に歌い出して四重唱となり、「Quam olim Abrahae」「Libera animasomnium」の主題が再現して、後奏が美しくこの曲を閉じる。

第4曲 「Sanctus 聖なるかな」ヘ長調

合唱は二つに分かれる。 トランペットが鋭いリズムを刻み、男声がまず「Sanctus 聖なるかな」と呼びかけ、全合奏と共に全八声部が爆発的な喜びの声を上げる。 第1合唱ソプラノの示す軽快な「Sanctus,Dominus,Deus Sabaoth 聖なるかな、万軍の天主なる主よ」の主題による壮大華麗な八声部の二重フーガが展開される。 静かな「Benedictus,qui venit in nomine Domini 主の御名によりて来り給う者は祝せられ給え」を経て、二つの合唱は「Hosanna in excelsis いと高きところに、ホザンナ」と交互に呼び交わしながら高揚してゆき、全合奏による半音階的走句に乗って高らかに力強く歌ってこの曲を閉じる。

第5曲 「Agnus dei 神の子羊」ハ長調

まず独唱のソプラノとメゾ・ソプラノが無伴奏のハ長調のユニゾンで「Agnus dei,qui tollis peccate mundi  世の罪を除き給う神の子羊よ」と歌い出し、合唱がそれにならう。独唱と合唱が呼び交わすように素朴な祈りを深めてゆく。

第6曲 「Lux aeterna 永遠の光を」変ロ長調

独唱だけの部分だが、ソプラノは歌わない。 メゾ・ソプラノが「Lux aeterna luceat eis,Domine 主よ、永遠の光明を彼らの上に輝かせ給え」と歌い、やがて三重唱になる。 弦のトレモロとフルートに伴われた美しいメゾ・ソプラノの独唱を経て、三重唱で閉じる。フルートとクラリネットの分散和音による後奏も印象的である。

第7曲 「Libera me 我を許し給え」ハ短調

ハ音で独唱ソプラノが「Libera me,Domine,de morte aeterna,in die illa tremenda 主よ、かの恐ろしい日に私を永遠の死から解放し給え」と祈祷文を唱え、合唱が変ホ長調でこれに続く。 独唱ソプラノが「Tremens factus sum ego et timeo 私は来るべき裁きと怒りとを思ってふるえおののく」と歌うと、長い休止の後で「Dies irae」の冒頭部の激しいト短調の部分が再現し、全合唱が「Dies irae」を絶叫する。 独唱ソプラノが「Dum veneris judicara saeculum per ignem 主がこの世を火で裁きに来給う時」と歌い、合唱は「Dies irae」を繰り返す。 転調を重ねてホルンの長いヘ音に至って変ロ短調となり、独唱ソプラノと合唱が「Requiem aeternum 主よ、永遠の休息をかれらに与え給え」と第1曲の歌詞を切々と歌い、最弱音で変ロ長調の主和音のフェルマータとなる。

再び独唱ソプラノの祈祷文になるが、今度は遙かに劇的である。 弦のトレモロに導かれて、合唱アルトが祈祷文を主題とするフーガの開始を告げ、ソプラノ、バス、テノールと加わって壮大で多彩なクライマックスを築き上げる。 独唱ソプラノが感情豊かに合唱の上で歌い、いったん休止するが、続いて合唱バスから順次入ってくるストレットになり、独唱ソプラノが歌い始めると合唱は最弱音で支える。 合唱バスが「Dum veneris judicara saeculum per ignem」を最弱音でつぶやくと、合唱が息の長いクレッシェンドをしてゆき、ついに独唱ソプラノと共に激しく頂点に達するが、やがて最弱音のハ音で終止する。 独唱ソプラノが低いハ音で三度目の祈祷文を唱え、合唱もすべて同じ音で「Libera me」を万感の思いを込めて歌って、全曲の終了となる。

ベ ー ト ー ヴ ェ ン 「 ミ サ ・ ソ レ ム ニ ス 」

町田フィルハーモニー合唱団 安倍武明

 

ベートーヴェンの宗教曲は、オラトリオ「橄欖山上のキリスト」作品85、ハ長調ミサ曲作品86、それにミサ・ソレムニス作品123の僅か3曲を数えるのみであるが、このミサ・ソレムニスは内容において、また規模において、前作のハ長調ミサ曲とは全く異なり、古今の名だたるミサ曲の中でも独自の領域に屹立する、巨峰のように桁外れのものであって、同時期に作曲された交響曲第九番と並んでベートーヴェンの最大傑作である。

ベートーヴェンがこの曲を作る動機となったのは、長年の友人かつパトロンであるルドルフ大公が、オルミュッツの大司教に叙せられることが1819年6月に決定となったことであり、翌1820年3月に予定された大公の叙任式に演奏するために、作曲に着手したとされている。 しかし、彼の手帳には1818年5月頃にこの曲のキリエの楽想が書かれているので、すでにベートーヴェンは作曲を開始しており、ルドルフ大公の叙任式はちょうど良い目標となっただけとする見方もある。 ベートーヴェンは作曲に没頭し、作曲は遅れに遅れて、大公に浄書譜が捧げられたのは叙任式の4年後の1823年3月のことであった。

初演は1824年4月18日、ペテルブルクでガリツィン公爵によって行われたが、これには作曲者は立ち会っていない。 ウィーン初演は1824年5月7日、ケルントナートール劇場であったが、この時の曲目は、献堂式序曲、ミサ・ソレムニス中キリエ、クレド、アニュス・デイ、それにこれも初演の第九交響曲というものであった。 これを同一の歌手、合唱団で演奏するのであるから、大変なことである。 演奏困難な箇所があるとして歌手や合唱団から苦情が続出したが、ベートーヴェンは頑として書き換えを拒否した。 ベートーヴェンはほとんど聴力を失っていたが指揮することに固執し、結局指揮者が二人立つことになったということは良く知られている。

曲の特徴としては、歌詞付の交響曲と呼んでも良い、その長大さである。 全曲演奏には約70~80分かかるが、キリエが約9分、グローリアが約18分、クレードに至っては約20分もかかる。 その規模からして、通常のミサ曲の常識を超えている。 合唱パートの書法は第九交響曲と同様に器楽的であり、激しい跳躍や広い音域、音量の急激な変化、急速なパッセージ等が頻出して演奏は至難である。 また、主観的な色彩が強く感じられるのがもう一つの特徴である。 ベートーヴェンは歌詞を書き加えることまで行っている。 当時、オーストリアはメッテルニッヒの反動支配下にあり、各地で革命的暴動が起こっていた。 ベートーヴェン自身も重病に悩んでいたが、1818年には奇跡的に回復し、甥カールの親権問題も解決した。 この苦悩と光明とが混然となった時期が、この曲の創造された時期である。 ベートーヴェンは祝祭的なミサ曲を作るということから脱却して、自らの視点から真の平和を求めてこの曲を書いたのである。 キリエの冒頭に彼はこう記した、「心より出て、再び心に帰らんことを」。 彼の苦闘はこの曲に刻み込まれ、それ故に比較を絶する傑作となったのである。

なお、「ミサ・ソレムニス」とは、日本語では「荘厳ミサ」とか「盛儀ミサ」と訳されるが、教皇や司教が執り行う規模の大きいミサのことである。

 

キリエ(3部形式)

ニ長調の静かな前奏に続いて合唱が"Kyrie"と唱え、独唱テノール、独唱ソプラノが応える。 独唱アルトが主題を歌い出し、合唱が受け継いで発展して行く。 中間部はロ短調に転じ、独唱ソプラノが"Christe eleison"の主題を歌って独唱、合唱が加わる。 ピアニッシモから長い再現部となるが、冒頭はト長調に転調している。 緊張感から解放されつつニ長調に戻り、最後は主和音のピアニッシモで曲を閉じる。

グローリア(4つの部分からなる)

 

第1部 ニ長調

ニ長調フォルティシモの上行音型の前奏に続いて、合唱アルトが"Gloria in excelsis Deo"と主題を激しく歌い、他パートが加わって行く。 やがて合唱バスがフーガ風に"Glorificamuste"と歌い出し、テノール、アルト、ソプラノが加わる。 変ロ長調に転じて 独唱テノールが"Gratias agimus tibi"と美しく歌い出して他の独唱も和し、合唱も続く。 やがて"Filius Patris"と高らかに全パートが歌い上げて第2部となる。

第2部 ヘ長調

優雅なオーケストラに続いてゆっくりと独唱が"Qui tollis peccata mundi,miserere nobis"と歌い、合唱はかみしめように反復する。 ベートーヴェンは"miserere nobis"の2度目の 繰り返しで"o!"という感嘆詞を独自に加えている。 この部分の作曲の際、彼の頬には涙が伝わっていたと弟子のシンドラーは書いている。

 

第3部 ニ長調

オーケストラが鋭く和音を奏し、これを受けて合唱テノールが"Quoniam tu solus sanctus"と発して各パートが加わり、"amen"のフェルマータに至って第4部に突入する。

 

第4部 ニ長調

一つの頂点を形成する大フーガが合唱バスによって開始される。 "in gloria Dei patris amen"の堂々たるグローリア主題が現れ、テノール、アルト、ソプラノと続く。 独唱も加わって高潮して行くが、今度は独唱が主題を先導し、合唱が"amen"を連呼して怒濤のようなクライマックスに達する。 最後にグローリアの主題が再現し、激しい高揚感の下に突然曲を閉じる。

クレド(4つの部分からなる)

 

第1部 変ロ長調

前奏に導かれて合唱バスが"Credo,Credo in unum Deum"とクレドの主題を歌い出す。 テノール、ソプラノ、アルトが続いて高揚してくるが、突然ピアニッシモになり、"ante omnia saecula"と歌う。 すぐにフォルテとなり、短い音型をちりばめて進行するが、ピアノで"Qui propter nos homines"と歌うと、ついで「天から降りたもう」"descendit de coelis"の言葉にふさわしく閃くようなオクターブの下行音型を示して閉じる。

 

第2部 ニ短調

合唱テノールが"Et incarnatus est de spiritu Sancto ex Maria Virgine"と静かに歌い出す。 (この部分は初版スコアでは独唱テノールになっていたが、自筆草稿では合唱テノール  である。) これが各独唱に受け継がれ、神秘的な雰囲気を形成する。 「十字架につけられ」"Crucifixus"ではニ短調となり、悲痛な想いが満ちあふれるが、突然合唱テノールが"Et resurrexit tertia die"と復活の喜びを力強く叫んで短いア・カペラ合唱となり、第3部を導く。

 

第3部 ヘ長調

喜悦に満ちた"Et ascendit in coelum"の上行音型を合唱がバス、テノール、アルト、ソプラノの順に歌い、キリストの復活を賛美する。 再びクレド主題が現れ、フォルテッシモの"amen"で結んで第4部へと入る。

 

第4部 変ロ長調

グローリアのフーガに匹敵する長大な二重フーガである。 ベートーヴェンは、この箇所の作曲中に小節ごとに手を打ち、足を踏みならして憑かれたようであったとシンドラーは記している。 合唱ソプラノが"et vitam venturi saeculi"と主題を示し、合唱テノールが対主題を歌って開始する。 力強い"amen"が現れるとテンポを急に落とし、独唱の技巧的な四重唱を挟んで、管弦楽の上行音型に乗って静かに閉じる。 ミサ・ソレムニス全体の頂点を多様な表現で実現している。

サンクトゥス ニ長調

ゆっくりした前奏に続き、独唱が"Sanctus Dominus Deus Sabaouth"と静かに歌う。 テンポが上がって"Pleni sunt coeli et terra gloria tua"と急速に上昇と下降する主題のフガートになり、次いで"Hosanna"の短いフガートが続く。 (このフガートの部分は本来独唱が歌う指定であるが、合唱で歌うこともある。 しかし、この演奏会においては独唱と合唱とで歌う。 恐らく初めての試みであろう。) ベネディクトゥスをベートーヴェンは独立とはせず、ト長調の前奏曲に続いてここに置いた。 前奏曲で独奏ヴァイオリンが天上から降り注ぐ神の恵みのように甘美なカンティレーナを奏でる。 バス合唱が "Benedictus qui venit in nomine Domini" とつぶやくように唱え、独奏ヴァイオリンが応える。 独唱アルトがベネディクトゥスの主題を歌うと他の独唱が加わり、合唱は背景に回る。 短いが力強い"Hosanna"の後でベネディクトゥスが回帰して、独奏ヴァイオリンの美しい響きと共に消えて行く。 独奏ヴァイオリンをミサ曲に用いるとは破天荒な試みであったろうが、その効果は素晴らしいものである。

アニュス・デイ(3つの部分からなる)

 

第1部 ロ短調

独唱バスが"Agnus Dei qui tollis peccata mundi"と痛切な祈りの心を歌い上げ、男声合唱が続く。 独唱アルト、独唱テノールが引き継ぎ、合唱と共に祈りを深めて行く。

 

第2部 ニ長調

合唱アルトと合唱バスが"Dona nobis pacem"と軽快に歌い、二重フガートに発展する。 ところがティンパニの連打とトランペットが戦雲のような不穏な響きを伝え、独唱アルトと独唱テノールが不安に満ちたレチタティーヴォを歌うが、すぐにそれは晴れて平安が戻ってくる。 ベートーヴェンは楽譜のこの箇所に「内面と外面の平和への願い」と記入しているが、現実の戦いの恐怖をここに刻み込まねばいられなかったのであろうか。

 

第3部 ニ長調

 

管弦楽の長い前奏の後に、合唱全パートが"Agnus Dei"と歌い、独唱と合唱が"pacem,pacem"を繰り返して高潮して行くが、やがて管弦楽の上行音型によって全曲の終結となる。

モ ー ツ ァ ル ト 「 レ ク イ エ ム 」

町田フィルハーモニー合唱団 安倍武明

 

レクィエム(死者のためのミサ曲)には、数多の名曲がある。 その中でも最も有名な曲はと問われれば、人はまずこの曲に指を折るであろう。 町田フィルハーモニー合唱団はフォーレやブラームス、ヴェルディの秀作をこれまでに演奏してきた。 いよいよ、稀代の天才の最後の作品、伝説に彩られた名曲に挑む時を迎えたのである。

この曲の成立についての奇妙な物語はよく知られている。 モーツァルトの最後の年となる1791年7月、ある嵐の夜に灰色の服を着た見知らぬ男が彼を訪ねてきてレクィエムの作曲を依頼した。 依頼主の名は明かせないと告げ、多額の前金を支払って行ったのである。 モーツァルトは当時「魔笛」を作曲中であったが並行して仕事を進めた。 ついに11月20日には病床に就いたが、自分のためのレクィエムを作曲しているような錯覚に陥り、灰色の服を着た男をあの世からの使者と考えるようになってしまった。 12月5日に死去する直前まで憑かれたように作曲を続けていたという。 この話には後の脚色が加わっている可能性があり、どこまで信じて良いのか分からないが、依頼主の正体は判明している。 ヴァルゼックという音楽好きの伯爵で、作曲家にひそかに曲を依頼して、出来上がった曲をいかにも自分の曲のように演奏して周囲を感心させるという変わった趣味を持っていた。 この時は亡くなった妻の追悼のためということでレクィエムを依頼してきたのである。

モーツァルトはこの曲を仕上げることなく息を引き取った。 完成した部分は"Requiem aeternam"だけで、"Sanctus"、"Benedictus"、"Agnus Dei"は全くの手つかず。 他の部分も合唱部と低音部のみ、オーケストラ部は断片的なテーマのみという状態で残された。 金に困っていたコンスタンツェ夫人はなんとしてもこの曲を完成し、残額を手にする必要に迫られていた。 そのため、複雑な事情が生じたのである。 彼女はモーツァルトの弟子のヤコブ・フライシュテットラー、次いでヨーゼフ・アイブラーに補作を依頼したが、オーケストレーションがいくらか進んだところで投げ出されてしまう。 最後に頼ったのがフランツ・クサヴァ・ジュスマイヤーであった。 この人はモーツァルトの死の直前まで、彼からこの曲の完成について指示を受けていたという。 ジュスマイヤーはアイブラーの補作を破棄して、改めてオーケストレーションを行い、欠けている部分は自ら作曲したのである。 これがいわゆる「ジュスマイヤー版」で、首尾良く依頼者の手元に届けられ、ヴァルゼック伯爵は1793年12月14日に自分の領地の教会で自らの指揮で「自作」として演奏した。 しかし、実際の初演はそれより早く、1793年1月4日にウィーンで行われている。 ヴァルゼック伯爵は、自分の演奏より前に演奏が行われていたこと、モーツァルト以外の人の手が加わっていることを知らなかったらしい。

近年、ジュスマイヤー版には誤りがあるとか、モーツァルトの響きを伝えていないとかの批判が高まり、専門家の独自の見解による版がいくつも現れている。バイヤー版(1971年)、モーンダー版(1988年)、ランドン版(1992年)、レヴィン版(1993年)等であり、それぞれ明確な主張を持っている。 しかし、現在では、モーツァルトの指示を直接受けたというジュスマイヤー版を再評価する動向であり、本日の演奏もこの版で行われる。

 

オーケストラの編成は、バセットホルン2、ファゴット2、トランペット2、トロンボーン3、ティンパニー、弦楽五部、オルガンである。 バセットホルンはクラリネットに似ているが、より起源が古い木管楽器で、やわらかでほの暗い音色を持ち、モーツァルトがこよなく愛した楽器である。 現在はクラリネットで代用されることも多いが、本日の演奏には指定通りバセットホルンを使用する。

モーツァルトの音楽は屈託がない伸びやかさの中に、時として死の淵に臨むような深遠さが顔を覗かせる。 笑い顔の裏にはいつも涙があるのだ。 彼は母の死、父の死、自らの病と、いつも死に向き合ってきた。 モーツァルトの作品で「レクィエム」はこれ1作しかないが、この曲を自らのために書いたというのは真実に違いない。 ついに宿命は彼に完成までの時を与えなかった。 "Lacrimosa"の冒頭8小節までを書いた時に彼の命は燃え尽きたのである。 この曲を聴く人は、彼の魂がこの世に別れを告げる瞬間を聴くのである。 この曲が与える底が知れぬほどの深い感慨と寂寥こそ、幾多の人々を魔法のように惹きつけてきた魅力であろう。

 

第1曲 Requiem aeternam(前半はモーツァルトによって完成。後半のKyrieはフライシュテットラーとジュスマイヤーによってオーケストレーション)

ニ短調。 低弦のゆったりと重々しいリズムに乗って、ファゴットとバセットホルンが沈鬱な旋律を歌い、合唱がバスから順次"Requiem aeternam"と入ってくる。 清澄なソプラノ独唱に次いで各声部が対位法的に流れるように組み合って行く。 Kyrieに入ると"Kyrie eleison","Christe eleison"を主題とする、精妙で異様なほどに印象的な二重フーガとなる。

第2曲 Dies irae(ジュスマイヤーによってオーケストレーション)

ニ短調。 嵐のような激しいオーケストラと共に、合唱が最後の審判の恐怖を歌う。

第3曲 Tuba mirum(ジュスマイヤーによってオーケストレーション)

変ロ長調。 トロンボーンが最後の審判を告げる。 独唱がバス、テノール、アルト、ソプラノの順に切迫感のある歌唱を繰り広げる。 合唱は入らない。

第4曲 Rex tremendae(ジュスマイヤーによってオーケストレーション)

ト短調。 付点音符の音型が特徴的。合唱が"Rex!"と力強く叫ぶが、最後は"Salva me"と静かな祈りとなる。

第5曲 Recodare(ジュスマイヤーによってオーケストレーション)

ヘ長調。 独唱者が美しく伸びやかに神の恩寵を願う。 合唱は入らない。

第6曲 Confutatis(ジュスマイヤーによってオーケストレーション)

イ短調。 地獄の劫火を思わせる低音部に乗って、男声が"Confutatis"と叫ぶのに対し、女声は"Vocame"と優しく祈る。

第7曲 Lacrimosa(8小節までジュスマイヤーによってオーケストレーション、9小節以降はジュスマイヤーの創作)

ニ短調。 すすり泣きを思わせる途切れ途切れの弦の前奏に続いて、合唱が痛切に"Lacrimosa"と歌い始め、ソプラノが半音進行で高いA音に達するとオクターブ下がる。

モーツァルトが書いたのはここまでであった。 その後はジュスマイヤーが引き継いで作ったものである。 この箇所について、先に挙げたバイヤー版はジュスマイヤー版を基に改訂しているが、モーンダー版は1961年に発見されたアーメンフーガに補筆して最後に挿入している。

第8曲 Domine Jesu(ジュスマイヤーによってオーケストレーション)

ト短調。 静かに歌い出されるが、やがてテノールの"Ne absorbeat eas tartarus"から始まるフーガとなり、独唱が入った後に今度は バスから"quam olim Abrahae promisisti"から始まるフーガとなって閉じられる。

第9曲 Hostias(ジュスマイヤーによってオーケストレーション)

変ホ長調。 最後で第8曲のフーガが再現する。

第10曲 Sanctus(ジュスマイヤーの創作)

ニ長調。 後半でバスから開始される"Hosanna"のフーガとなる。

第11曲 Benedictus(ジュスマイヤーの創作)

変ロ長調。 独唱で始まるが、やがて第10曲のフーガが再現する。

第12曲 Agnus Dei(前半はジュスマイヤーの創作、後半は第1曲の後半を転用)

ニ短調。 後半は第1曲の後半を歌詞を置き換えるだけでそのまま使用している。 これはモーツァルトの指示であったのか、ジュスマイヤーのアイデアなのかは判然としない。 モーツァルトが健在であったならば全く別の曲を書き、第1曲の旋律をそのまま転用するなどという安易な策はとらなかったであろうと思うが、それを確かめるすべはない。 とは言え、この処置でまぎれもないモーツァルトの音楽でこの曲が閉じられることになったのである。

ワ ー グ ナ ー & ヴ ェ ル ディ 歌 劇 名 曲 選

町田フィルハーモニー合唱団 安倍武明

【ワーグナーの部】

「さまよえるオランダ人」

いつの頃でしょうか、七つの海をさまよう黒いマストに赤い帆を張ったオランダ船がありました。 神を呪った罰で部下の水夫共々永遠に海をさすらわねばならないオランダ人船長は、七年に一度だけ許される上陸の際に永遠の愛を誓う乙女を得なければ救われることはないのです。 その運命を告げる劇的な序曲で幕が開きます。 嵐のため入り江に避難したノルウェー船の前にオランダ船が現れ、オランダ人はノルウェー船の船長ダーラントに娘との結婚を申し込みます。 ダーラントはオランダ人の正体を知らず、彼が見せた財宝に目がくらんで娘ゼンタとの結婚を約束して共に故郷に向かいます。 ダーラントの家では村の娘たちが糸車を回しながら恋人たちを想って「ぶんぶん回れ糸車」(糸紡ぎの合唱)を歌っています。

ぶーんぶーん可愛い車よ、元気よく回って千本の糸を紡いでおくれ。 

私の恋人は海の上、私のことを想っているのさ。 

可愛い車よ、お前が風を起こすなら、あの人も早く帰れるわ。 

紡げよ紡げよぶーんぶーん

ゼンタの乳母のマリーが冷やかしますが、娘たちからたしなめられてしまいます。

場面は変わって月夜の海岸。 ノルウェー船では水夫たちが「見張りをやめよ、舵取りよ」(水夫の合唱)を歌って陽気に騒いでいます。

舵取りよ、見張りなんか止めてこっちへこい! 

帆を巻き上げて錨を降ろせ! 

楽しく一杯やろうじゃないか! 

陸では娘が待っている! 

うまい煙草によいブランデー、岩も嵐も吹っ飛ばせ! 

早く来て俺たちと呑め!

物語の最後では、ついにオランダ人とゼンタは永遠の愛を誓って救済され、昇天して行きますが、本日はここで再び序曲に戻ります。

 

「ローエングリン」

舞台はアントワープ。 ドイツ国王ハインリヒに、ブラバンドの貴族テルラムントが訴え出ます。 前大公の死後に残された遺児のエルザが、弟のゴットフリートを暗殺したというのです。 エルザにとっては覚えのないこと。 騎士の戦いによる裁判が行われることになりますが、テルラムントと戦う者を指名する際、エルザが選んだのは夢に現れた騎士でした。 彼女の祈りに応えて、白鳥の曳く小舟に乗って輝かんばかりの雄々しい騎士が現れます。 騎士は自分の名前と素性を尋ねてはならないと告げ、エルザは誓います。 騎士はテルラムントを破り、エルザの潔白を証明するのです。 テルラムントの妻オルトルートは実は魔法使いで、公国を乗っ取るためにゴットフリートを白鳥に変えたのですが、彼女はエルザに言葉巧みに接近し、白鳥の騎士への疑いを起こさせます。 ハインリッヒはエルザと騎士の結婚を宣言し、婚礼の場となります。 第三幕への前奏曲は結婚の喜びを高らかに表すものですが、終結部に暗い影が現れます。 二人を先導する乙女たちが「真心込めて先導いたします」(婚礼の合唱)を歌います。

真心込めて先導いたします、愛が見守っている祝福の場所へ! 

類ない勇気、勝ち取られた愛は至福のお二人に誠実を与えます。 

徳ある勇士よ、前に出なさい! 

誉れの若者よ、前に出なさい! 

宴のざわめきは今や遠ざかり、心からの恍惚は勝ち得られました!

薫り高い部屋は愛で飾られ、ここで栄光が与えられるのです

しかし、エルザは疑惑に堪えられず、ついに騎士の名前を尋ねてしまいます。 王に対し、騎士はエルザが誓いを破ったので自分は去らねばならないと告げ、我こそは聖杯王パルシファルの息子ローエングリンであり、エルザを助けるためにやってきたのだと名乗ります。 再び白鳥が小舟を曳いて現れ、白鳥はゴットフリートの姿に戻ります。 ローエングリンは鳩に曳かせた小舟に乗って去り、エルザは悲しみのあまり、ゴットフリートに抱かれたまま息絶えてしまうのでした。

 

「タンホイザー」

禁断の地ヴェヌスベルクへ行った騎士のお話です。 騎士タンホイザーは邪神ヴェーヌスの誘惑に乗ってしまい、領主の姪である清純なエリーザベトを捨ててヴェヌスベルクで愛欲に耽っています。 しかし故郷に戻りたくなり聖母の名を呼ぶとヴェヌスベルクは消え去り、そこにテューリンゲンの領主ヘルマンの一行が通りかかり、タンホイザーは友人の騎士ヴォルフラムに勧められヴァルトブルク城へ戻ることになります。 エリーザベトは城の大広間で、恋人タンホイザーが戻って歌合戦に参加することを喜び、心弾ませながら「高貴な殿堂よ、喜んで私はあいさつを贈る」(歌の殿堂)を歌います。

高貴な殿堂よ、喜んであいさつを贈ります。 

あなたの中にあの方の歌が響き渡り、暗い夢から私を呼び覚ましてくれるのですね。 

あの方があなたを捨ててからは、私の胸から平和が消え、あなたも荒れ果てて見えました。 

今日、私の胸は高くふくらみ、あなたの姿も誇らしく神々しい。 

私を、そしてあなたを元気づけて下さるあの方は、まもなく姿をお見せになるわ! 

高貴な殿堂よ、あなたにくちづけを贈ります!

華やかな「大行進曲」に導かれて盛装した騎士や貴婦人が入場し、「歌の殿堂を讃えよう」を晴れやかに歌います。

喜んで貴い殿堂にあいさつを贈る。 

ここに芸術と平和は永遠に止まるように! 

喜びの歌よ、長く響け! 

テューリンゲン領主のヘルマン様、ばんざい!

歌合戦の題は「愛の本質」。 ところが、タンホイザーは享楽の愛こそ本当の愛なのだと歌うので人々は激昂し、夢中になったタンホイザーはついにヴェーヌスをたたえ、ヴェヌスベルクにいたことが露見してしまいます。 男たちは剣を抜いてタンホイザーに迫りますがエリーザベトは必死に彼をかばい、タンホイザーは悔悟して大罪の許しを乞うためにローマへの巡礼に出発します。 ヴォルフラムはエリーザベトの死を予感しながら「おお、優しい夕星よ」(夕星の歌)を歌います。 この歌は本来「巡礼の合唱」に続いて歌われるものですが、本日はここで演奏します。

死の知らせのようにたそがれは地を包み、黒いマントで谷を覆う。

高みにあこがれる魂は夜の飛翔に恐れおののく。 

おお、美しい星よ。 

お前は優しい光でこのたそがれを照らし、谷からの道を示してくれる。 

おお、優しい夕星よ、この悲しみの谷から天を行く天使を守れ。

やがて巡礼たちが「ふるさとよ、また見る野山」(巡礼の合唱)を歌いながらローマから帰ってきます。

ふるさとよ、喜びをもってまた見る。 

美しい草原に嬉しくあいさつを贈る。 

神にさからわず巡礼を終えた今、旅の杖に休息を与えよう! 

懺悔と悔恨によって主の許しを得た。 

主はわが悔悟に恩寵を与えて下さった。 

わが歌は主のために響く! 

恩寵の救済は懺悔者に与えられた。 

いつか天国の平和に行く。 

地獄と死とは恐れではない。 

わが命の限り神をたたえよう。 

ハレルヤ!ハレルヤ!永遼に!

タンホイザーが現れ、ローマでの出来事を語ります。 法皇は、枯れた木である杖に葉が生え花が咲くことがなければ救われることはないと告げたのでした。 そこにエリーザベトの遺骸を運ぶ葬列が近づき、タンホイザーもエリーザベトの遺骸に身を寄せて息絶えますが、そこへ現れた若い巡礼の手には、葉が生え花が咲いた杖が掲げられていました。 タンホイザーの魂はエリーザベトの犠牲によって救われたのです。 一同は「讃えよ恩寵の奇跡を」(フィナーレの合唱)を歌って神をたたえます。

讃えよ恩恵の奇蹟を! 

救済は下されたのだ! 

主は奇蹟により自らを示したもうた。 

僧の手に持つ枯れた杖を主は新緑で飾りたもうた。 

地獄の烙印を持った罪人が、救済を新たに受けたのだ! 

この奇蹟を通して恩恵を受けた人の名を国中に伝えよ! 

すべての世の上に神はあり、彼のあわれみはあざけりではない。 

恩籠の救済は懺悔者に与えられた。 

今や彼は天国の平和に入る

 

 

【ヴェルディの部】

「ナブッコ」

紀元前586年~538年の史実、「バビロン捕囚」が題材になっています。 序曲に続いて、ヘブライ人たちがナブッコ王(バビロニアの王ネブカドネザル二世)率いるバビロニア軍の侵攻を恐れ、ソロモン神殿で「祭りの飾りは引き裂かれ」を歌って嘆き、祈ります。

(一同)祭りの飾りは引き裂かれて地に落ちた。 

祭りをやめてユダの民は喪服に身を包め! 

まさに神を軽んじた報いか、神の怒りがつかわしたバビロニアの王がわれらの上に襲いかかってきた! 

既に蛮族軍の凶暴な叫び声が聖なる神殿に響きわたっている! 

(祭司たち)乙女たちよ、白いヴェールを外し、声高く祈るために腕を天にさしのべるのだ。 

汚れなき唇から立ちのぼる切なる祈りなら、快い香りとなって神に届こう。 

祈るのだ、乙女たちよ、猛り狂う敵軍の恐ろしい怒りが消え去るように! 

(乙女たち)偉大な神よ、どうかバビロニアの軍を蹴散らして、ダヴィデの娘なるこの国に喜びをお返し下さいますように。 

この祈りが天に届き、お慈悲とお許しを得られますように! 

(一同)ああ、異教の徒に神を畏れぬ言葉を叫ばせてはならぬ。 

神よ、われら神の民が餌食となることのないように! 

神よ、愚かな偶像に囲まれた異教徒がダヴィデの王座に坐すことのないように!

入り組んだ筋書きを経て、最後はナブッコがヘブライ人たちを助け、一同がエホバに仕えるナブッコこそ王中の王とたたえます。

 

「ドン・カルロ」

1560年頃のスペイン。スペインの皇太子ドン・カルロはフランス王女エリザベッタと相愛の仲なのですが、あろうことかエリザベッタはカルロの父であるスペイン王フィリッポ二世の后にさせられてしまいます。 若い二人は激しく苦悩しますが、王も「彼女は私を愛したことがない」~「独り寂しく眠ろう」でしみじみと自分の老いを狂おしげに嘆くのでした。

彼女は私を愛したことがない! 

彼女の心は私にいつも閉ざされていたのだ。 

彼女がフランスから着いた日に私の白髪を見た時のあの悲しそうな目は、今でも私の目に見えるようだ。 

愛なんかなかった! 

私はどこにいるのか? 

暁の光がバルコニーに射し込む。 

もう朝だ! 

私の荒涼たる日々が過ぎて行く。 

おお、神よ。 

私のやつれた目から眠りが消えてしまったのだ・・・ 

私の日々が終わった時に、はじめて王のマントに包まれて私は眠るだろう。 

墓の暗い地下室の中でだけ、私の眠りは得られるだろう。 

神だけが見抜くという人の心の中を、この王冠が見通すことができるなら! 

王が眠れば謀反人は目覚める。 

王は王冠を失い、王妃は名誉を失う・・・ 

彼女は私を愛したことがない! 

彼女の心は私にいつも閉ざされていたのだ。 

彼女の愛はない!

 

「アイーダ」

最後の場面は古代エジプトのファラオ全盛の時代。 「前奏曲」がまず演奏されます。 エジプトの将ラダメスは奴隷のアイーダと秘かに愛し合っていますが、実はアイーダは敵国エチオピアの王女で、身分を隠して奴隷になっているのです。 エチオピア軍がアイーダの父である国王アモナスロに率いられて首都テーベに迫るとの報を受けて、ラダメスが討伐の将に任命され、一同は勝って帰れと叫びますが、一人となったアイーダは、祖国とラダメスへの愛との板挟みに苦悩して「勝って帰れ」を切々と歌うのでした。

勝って帰れ! 

の唇から何と不謹慎な言葉が! 

父上と戦って勝利する人に勝って帰れとは、私に祖国や王宮を返そうと戦う父上や兄弟たちに打ち勝って下さいとは! 

あの方が同胞の血に彩られ、歓声を浴びて凱旋する時、戦車の後には鎖につながれた父上が! 

神よ、この無分別な言葉を忘れて、父の胸に娘をお返し下さい。 

どうぞ打ち破って下さい、私たちを苦しめる軍勢を! 

神よ憐れみを、私のこの苦しみに!

ラダメスは勇躍出征し、エチオピア軍を破ります。 一同は歓喜に満ちて「エジプトとイシスの神に栄光あれ」を歌います。

エジプトに栄えあれ、我らが聖地を守るイシスの神に栄えあれ! 

デルタの地を支配する我らが王に、祝賀の歌を捧げよう! 

月桂冠に蓮の花を絡ませて凱旋将軍の頭に載せよう! 

花の嵐が武器の上に、白いべ一ルを被せたようだ。 

踊れ、エジプトの娘たち、空で星が太陽の回りを踊るように神秘的な踊りを踊れ! 

勝利を司る神々よ、この幸せな日に我らが感謝を受けたまえ。 

我らの王に祝賀の歌を捧げよう!

トランペットが高々と吹き鳴らされる「凱旋行進曲」に乗って歓呼を浴びつつラダメスが凱旋してきて、高らかな「戦いに勝った将軍よ、前に出よ」(勝利の合唱)で迎えられます。

しかし終幕では、アイーダは反逆罪に問われたラダメスと共に死ぬ道を選び、地下牢の中でひしと抱き合うのでした。

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