邦人三作品を選んだ理由

町田フィルハーモニー合唱団音楽監督 荒谷俊治

 

管弦楽の伴奏で歌える日本の合唱曲となるとかなり限られてしまう。しかも約80名の混声合唱でとなると、更に厳しい条件になる。

例えば、合唱人なら何度か歌ったことのある「大地讃頌」を最終の第7楽章に持つ佐藤眞さんの混声合唱のためのカンタータ「土の歌」は是非、と考えていたのだが、照会したところフル編成の管弦楽編曲しかなく、費用の面で断念した。

 

「水のいのち」

この管弦楽版は三版ある。髙田三郎先生がもう少し長生きされたら御自身でオーケストレイションまでやられたと思うのだが、ちょうどミレニアムの2000年に亡くなられた。

2005年に名古屋で開催された髙田三郎作品演奏会にあたり、国立音楽大学教授トーマス・マイヤー・フィービッヒ氏の手により管弦楽版が誕生、初演された。その後、2009年には髙田直弟子の今井邦男氏(全日本合唱連盟副理事長)による新しい編曲版、更に2012年6月にやはり同門の荒谷俊治による小管弦楽版も完成して、2013年の髙田三郎生誕百年を迎えて「水のいのち」上演の輪が全国に拡がった。

私はどの版も経験済みだが、トーマス版はフル編成の上にハープ2台が左右に別れて配置となり、今井版もフル編成。従って小編成用に書いた荒谷版を使用する。既に東京で2回、福岡で1回演奏済みである。

 

「邪宗門秘曲」

次に考えたのは、実は團伊玖磨作曲「岬の墓」であった。團さんには合唱組曲「筑後川」の名作があるので、管弦楽版になった曲は他にないかと探す。「岬の墓」に思い当たって、この曲の管弦楽版はないかと音楽之友社に電話して尋ねると、管弦楽版ができれば大歓迎で、御遺族も待っておられるので書いて下さいよ、と逆依頼(?)を受けて、「時間ができたら」とあわてて電話を切った。

河合楽器出版部に木下牧子さんの「邪宗門秘曲」の小編成管弦楽版が貸し譜であり、すぐに閲覧できたので、見に行った上で決めた。

 

「レクイエム」

「三木レク」という愛称で知られるこの曲はもともと男声合唱であるが、三木稔君が亡くなる前、私に「混声版も頼むよ」と云った作品なのである。今年(2014年)、混声版の総譜とパート譜が完成し、7月13日にトリフォニーホールで初演されるが、これはフル編成版である。

8月31日の町田フィルハーモニー合唱団の横浜みなとみらい大ホールにおける演奏は、小編成管弦楽とピアノ・エレクトーンという形で御遺族の了解も得ている。

この三曲を一度に管弦楽版で演奏する機会は滅多にないであろう。私も大いに楽しみにしている所である。

 

髙 田 三 郎 「 水 の い の ち 」

町田フィルハーモニー合唱団 安倍武明

 

TBSからの委嘱作品で1964年に放送初演され、後に作曲者自身によって女声合唱、男声合唱にも編曲された。日本の合唱曲中で最も人気が高い曲と言っても過言ではない名作である。

髙田三郎(1913~2000)は詩人高野喜久雄(1927~2006)と出会い、「わたしの願い」(1961)、「水のいのち」(1964)、「ひたすらな道」(1976)、「内なる遠さ」(1978)、「確かなものを(1987)、歌曲集「ひとりの対話」(1965~71)等が産み出された。高野喜久雄は現代詩同人「荒地」に参加していたが、数学者としての顔も持ち、長く神奈川県立高等学校で教鞭を執っていた。その道では円周率を求める「高野喜久雄の公式」が有名である。この二人に共通しているのは、深い信仰に基づく人間性の探究であろう。

この組曲は5つの曲から構成されている。最初に作曲されたのは詩集「独楽」所収の「海」であったが、詩集「存在」所収の「水たまり」「川」は「読む詩」から「きいてわかる詩」へと詩人に改作を依頼し、作曲を終えてから「雨」「海よ」の書き下ろしを依頼する、という順序で進められた。作曲者と詩人との密接な連携で誕生した作品である。

第一曲 雨 Lent tranquillo

ゆったりと歌い出される。この雨は驟雨でも豪雨でもなく、人の心にひたひたと染み入る雨である。すべてのものに、わけへだてなく降る雨である。

第二曲 水たまり Moderato

スタッカートの上昇音形に乗って歌い出される。わだちのくぼみにたまる水たまり。やがて消え失せる定めにある、わたしたちに似ている水たまり。そこから抜け出そうとして苦しむ小さな心。

第三曲 川 Risolute

^F音が強奏され、決然と疑問が発される。何故さかのぼれないか?何故低い方へゆくほかはないか? ^Andante mosso 6/8拍子となり、躍動して渦を巻く川の流れを活写する。山にこがれても峰にこがれても、下へ下へと流れてゆくほかはないのだ。また最初の音形が復帰して、わたしたちも川と同じという心情を歌う。

第四曲 海 Adagietto

各パートが二部に別れて八部合唱となり、波を模する音形を歌う。凡ての川は海へと流れ、人でさえ海を、その中の一人の母をさしてゆくのである。海こそは母なのだ。上に書いたように、この曲が最初に作曲された。

第五曲 海よ 

堂々たる終曲。前奏の下降音は海が受け入れたすべての芥を表すものか。神秘的な海の世界。水は空の高みへとのぼってゆく。すべてのものは浄化されるのである。

作曲者は管弦楽版を遺すことはなかったが、死後に三種の管弦楽版が現れた。2005年に国立音楽大学教授トーマス・マイヤー・フィービッヒによる版、2009年に全日本合唱連盟副理事長の今井邦男による版、更に2012年6月に完成した荒谷俊治による小管弦楽版である。今回は小編成用に書いた荒谷版を使用する。既に東京で2回、福岡で1回演奏済みである。

木 下 牧 子 「 邪 宗 門 秘 曲 」

町田フィルハーモニー合唱団 安倍武明

 

作曲者の木下牧子(1956~)は、合唱曲、管弦楽、吹奏楽、室内楽、歌曲等の広いジャンルで多彩な作品がある。東京芸大大学院1年の時に書いた合唱組曲「方舟」(作詩:大岡信)が大好評を得て、「ティオの夜の旅」等によって確固たる地位を築いた。しかし自身は「本質的には器楽の作曲家」としており、「邪宗門秘曲」にはピアノ伴奏版と管弦楽伴奏版がある。

詩は、北原白秋(1885(明治18年)~1942(昭和17年))の、明治42年に出版された処女詩集「邪宗門」の巻頭に収められている「邪宗門秘曲」である。白秋は明治40年に与謝野鉄幹、吉井勇、木下杢太郎、平野万里と九州に一ヶ月の旅をした。その時に長崎・平戸・天草等で見聞した殉教の歴史と南蛮文化がこの詩の基盤となっている。「邪宗門」とは、時の権力者にとっては邪となる宗教を指す言葉で、ここではキリスト教であるが、白秋はキリスト教を「邪宗」として扱っているわけではない。「邪宗門」の序に「我ら近代邪宗門の徒が」とあるので、新時代の詩人の比喩的表現であることは明らかである。詩はポルトガル語やオランダ語の訛りを漢字に移し、難読難解ではあるが、官能的、耽美的な色彩は強烈な印象を残す。

 

作曲者は、単一楽章による新しいタイプの合唱曲を目指し、テキストを口語詩ではなく呪文、ヴォカリーズ、外国詩等に求め、ついにこの詩に行き当たった。初演は1998年で、その後2回の改訂を経ている。 歌が始まる前に26小節ものヴォカリーズがある。混沌の中から歌が生まれ、結末に向けてクライマックスが築かれる。ワンフレーズが長く、強弱はppからfffまでと振幅があり、緊張感が全曲に満ちている。

三 木 稔 「 レ ク イ エ ム 」

町田フィルハーモニー合唱団 安倍武明

 

三木稔(1930~2011)の代表作の一つであるこの曲は、最初男声合唱曲の形で世に現れた。1963年に初演以来、その生々しい迫力、生命力で大好評を持って迎えられ、「三木レク」の愛称で親しまれるようになった。当初はバリトンソロ付きピアノ及びオルガン伴奏版であったが、その後1984年に混声版が、さらに2005年にソプラノソロが加わる「花の歌」の章が追加された新版が完成した。当初よりブラス中心のオーケストラでも演奏可能であったが、作曲者は2011年に管弦楽伴奏完全版を完成した。実に約50年をかけて作曲者の意図する理想的な形を実現したが、ついに最後の作品となったのである。この版はごく最近、2014年7月13日に初演された。本日は小編成管弦楽にピアノとエレクトーンを加えた形で演奏する。

作曲者が学生時代に古本屋で「南方原住民の歌謡」という本を見つけ、その中に収められたポリネシア・マンガヤ島住民の「ヴェラを悼む葬送の歌」に心を奪われたことが端緒となった。この本は、ドイツ文学者の浜野修(1897(明治30)~1957(昭和32))が、Eckart von Sydow著のDichtungen der Naturvölker(1936年)に掲載された先住民の歌謡の歌詞のうち、主に太平洋の諸島のもの52編を抜粋して和訳し、「南方原住民の歌謡」という表題をつけて、昭和19年に発行されたものである。この歌に作曲者の夫人である詩人、三木那名子が加筆修正して成った詩に作曲が行われた。後に追加された「花の歌」は三木那名子のオリジナルである。音楽上の資料は一切なかったので、曲はマンガヤ島の音楽とは全く関係はなく、すべて創作されたものである。

マンガヤ島(Mangaia Island)は、南太平洋、ニュージーランド領クック諸島の南クック諸島に位置する火山性の島である。周りは古代のサンゴの化石の壁に取り囲まれているが、これは1800万年前、近隣の火山島ラロトンガ島の成長が地殻を大きく歪め、マンガヤ島と周囲のサンゴ礁が海から隆起したためである。歌詩に登場する、大岩や、断崖、洞窟などは、これら火山性のサンゴ礁の島の特徴である。サイクロンとは南太平洋とインド洋で発生する熱帯低気圧をいうが、南半球なので台風の反対で右回り。南太平洋のポリネシア海域では、概ね北から南に進路を取って、強い北風を吹きながら、勢いを増す。サイクロンが通過すると、吹き返しの南東風が吹いて過ぎ去ってゆく。歌詞に登場する、「みなみひがしの風」とは、これを称しており、サイクロンが過ぎ去って、嵐がおさまることを意味している。

ヴェラとは、1770年に亡くなった、この島の王の甥に当たる人物で、彼を悼む歌がこの歌であるが、三木那名子の詩では「ヴェラ」ではなく、「友よ」とか「お前」として普遍的な扱いとなっている。

作曲者は、初版の楽譜にこう書いている。「私達作曲家は、今あまりにも豊富な音響的手段の中に埋められて、自分を持することに度々とまどわなければなりません。そして現代を追求し、現代に乗り遅れまいとして、何か一番大切なものを忘れがちです。否、それを忘れることが現代らしいドライな在り方だと信じられているようです。私は、併し、そのような仮面の下で自分をごまかしたくない―――生々しいヴァイタリティを表出し、抒情の水脈を拓く事に、いつの時代にも揺るぎない音楽本来の姿を求めたいと思っています」「私はこの心打つ題材を、現代の恐るべき殺戮によって、天寿を全うせず昇天した魂への広い意味での鎮魂歌に植え直しました」。また、「花の歌」を加えた版では、『「花の歌」の作曲に入る直前、スマトラ沖の大地震と未曾有の津波が発生し、数十万人の犠牲者を思いつつの筆の運びでした』と述懐している。

前奏曲  Lento

冒頭に現れる16分音符と付点8分音符によるシンコペーションの音型は全曲を貫くモティーフである。激しい不協和音が鳴り響き、緊迫感に満ちている。

第一楽章 Adagio

16小節の前奏に続いて、PPPで「聞こえるか友よ」と歌い出し、やがてバリトンソロが死者の魂の言葉を歌う。悲痛な「さあ、お別れの時が来た」はオクターブの上昇音型で歌われ、「どなたもお支度は喪服に花束」と組み合わされて第二楽章、第四楽章、第六楽章にも現れる。

第二楽章 Allegretto

^7/8拍子と5/8拍子が交替する激しいリズムに乗ったバリトンソロに導かれて、合唱との掛け合いとなり、霊たちと葬儀参列者が海へと急ぐ様を歌う。

第三楽章 「花の歌」

ソプラノソロが加わる、花を供えて死者を悼む美しい楽章。上記の通り、後で付加された。

第四楽章 Grave~Allegro Vivo

オスティナート風の「急げ、急げや急げ」の繰り返しに乗って、船出の場所に急ぐ様を歌う。  バリトンソロが加わる。

第五楽章 Allegro violento

魂の国へ行く用意はいいか、としみじみと呼びかける。ソロなしの楽章。

第六楽章 Grave~Allegro Vivo

ソプラノソロのヴォカリーズで始まり、合唱が承ける。バリトンソロとソプラノソロが交互に歌い進め、「南東の風」から合唱に移り、「どなたもお支度は喪服に花束」でsmorzandoとなって、死者の平安を祈りつつ静かに歌い収める。

ヘ ン デ ル 「 メ サ イ ア 」

町田フィルハーモニー合唱団 安倍武明

「メサイア」とは?

「メサイア」という言葉は日常あまりなじみのない言葉です。 しかし、「メシア」なら耳にした方もあるのではないでしょうか。 そうです、「メシア」は「メサイア」“Messiah”に他なりません。 「油を注がれた者」という意味のヘブライ語“Massiah”がギリシャ語で“Messias”となり、さらに英語化されて“Messiah”となりました。 「油を注がれた者」は「救い主」の意味を持ちます。 “Christos”も同じ意味なので、メサイアもメシアもキリストもすべて同じく「救い主」を指すのです。

大作曲家ヘンデル

「バッハは音楽の父、ヘンデルは音楽の母」と私たちは学校で習ったものです。 しかし、同じ1685年にドイツで生まれたこの二人の大作曲家の性格と経歴は、全く異なるものでした。 バッハは一生ドイツから出ることはなく、教会や宮殿で活動して主に教会音楽の分野で作品を残しましたが、ヘンデルは最初はオペラで成功し、イタリアに行ってオペラの他にカンタータやオラトリオを作り、一旦帰国後に今度はロンドンに移住して、最後はイギリスに帰化し、主に劇場音楽で名声を得ました。 従って、ドイツ語名のGeorg Friedrich Händelではなく英語名のGeorge Frideric Handelと表記する例もありますが、日本ではドイツの作曲家として扱うのが通例です。 バッハは2回の結婚で20人の子供を儲けましたが、ヘンデルは生涯独身でした。 バッハはヘンデルと2回会おうとしたのですが1回目はすれ違い、2回目はヘンデルが断ったため、ついにこの二大巨星は会うことがなかったのです。

ヘンデルはユニークな人柄だったようで、大変な大食漢で三人前の食事をぺろりと平らげたとか、わがままな女性歌手の態度に腹を立てて窓から放り出そうとしたとか、いろいろなエピソードがおもしろおかしく伝えられていますが、どのあたりまで真実であったかは分かりません。 しかし、オラトリオ「メサイア」中で最も有名な「ハレルヤ・コーラス」になると全聴衆が立ち上がったというエピソードは曲の素晴らしさを伝えています。 ロンドンでの初演時に、臨席していた国王ジョージ2世が感極まって立ち上がったので聴衆もそれにならい、この部分が来ると起立する習慣が生まれたと言われています。 これが「スタンディング・オべーション」の起源だという説もありますが、どうでしょうか。 日本では全聴衆が立ち上がる習慣はありませんが、中には立つ方もいらっしゃいますね。

オラトリオ「メサイア」

ヘンデルはロンドンでオペラを中心に作曲および上演を行っていましたが、1740年頃は上演が成功せず、スランプに陥っていました。 そこに台本作家チャールス・ジェネンズ(Charles Jennens)がメサイアの台本を持ち込んだのです。 旧約・新約聖書から自由に抜粋して作ったものですが、ヘンデルはこれに大いに触発され、1741年8月22日から作曲にかかって9月14日に全曲を完成しました。 なんと全3部を僅か24日間で書き終えたというのですから信じられない早さです。 奇しくも、本日の公演はヘンデルが作曲に着手してからきっかり269年目にあたるわけです。 初演は滞在していたダブリンで1742年4月13日に行われて大成功を収めました。 その後ロンドンでも上演し、次第に人気作品として確乎たる地位を築いて行くのです。 ヘンデルは1759年に死去しますが、彼の最後の演奏もこの曲でした。

普通、オラトリオには筋書きがあり、ソリストは特定の役柄を担っています。 ところがこの曲には筋書きらしいものはなく、歌詞はすべて聖書からの抜粋であり、ソリストも役を持っていません。 オラトリオとしては破格と言っても良いのですが、聴衆にはなじみ深い歌詞がたくさん出てきて、しかも音楽は劇的で華麗なのですから、これが圧倒的な人気の理由の一つでしょう。 構成についてはミサ曲との類似も指摘されています。 使用言語は英語ですが、16世紀頃の英語なので現在とは綴りや発音が違う単語もあります。

 ヘンデルはソリストのパートを入れ替えたり、ソロの部分を合唱にしたりするなど何回もこの曲を改訂していますが、現在では1753年に捨子養育院で演奏された時の版が標準となっており、本日の演奏もその版に基づいてワトキンス・ショウが編集したNovello版を使用します。

メ ン デ ル ス ゾ ー ン 「 聖 パ ウ ロ 」

町田フィルハーモニー合唱団 土田貞夫

 

オラトリオ「聖パウロ」の成立と背景

メンデルスゾーンのオラトリオ「聖パウロ」は1836年5月22日、デュッセルドルフのニーダーライン音楽祭で初演され大変な好評を博したといわれています。 メンデルスゾーンはバッハおよびヘンデルの音楽を学び、その作風に大きな影響を受け、19世紀において衰退にあったオラトリオというジャンルを復活させました。 「聖パウロ」は「エリア」とともにメンデルスゾーンの代表的なオラトリオ作品です。

「聖パウロ」はメンデルスゾーン自身の家族のユダヤ教よりキリスト教への改宗の歴史を象徴する作品と言われていますが、それだけではありません。 「聖パウロ」は聖書の「使徒言行録」に基づいて使徒パウロの行跡を物語るオラトリオですが、「使徒言行録」は新約聖書において四福音書に続いておかれているものであり、すでに1829年にバッハのマタイ受難曲の復活上演を行っていたメンデルスゾーンが受難曲に続くオラトリオとして「聖パウロ」の構想を抱いていたものと推察されます。 いわば、オラトリオ「聖パウロ」は受難曲の続編であると言えましょう。

さらに、10年後の1846年にもう一つの著名なオラトリオ「エリヤ」を上演し、オラトリオにおけるメンデルスゾーンの業績を不動のものとしました。 メンデルスゾーンはバッハの「マタイ受難曲」、ヘンデルのオラトリオ「メサイア」を踏まえ、「聖パウロ」においてイエスの十字架上の死と復活の後のキリスト教の展開を描き、一転して「エリア」によって旧約の世界にいたり、キリストの預言を示し、そして未完に終わったが、オラトリオ「キリスト」を構想し、壮大な聖書の世界をオラトリオとして描こうとしたものと思われます。 こうした預言者エリアからメシアとしてのイエスの受難、使徒パウロの回心と伝道、そしてキリストの再臨というキリスト教の壮大な歴史的流れの中でのオラトリオ「聖パウロ」の位置付けと意味を理解しておかねばならないでしょう。

主題と概要

オラトリオ「聖パウロ」の主題は新約聖書の「使徒言行録」に述べられているサウロ(=パウロ)の回心と伝道の行跡の物語です。 ≪左下図:使徒パウロ(ルブレイ、1420)≫

旧・新約中間時代(BC 2世紀~AD 1世紀)のパレスチナ地域におけるユダヤ教には様々な思想・主義があり、聖書に現れる体制に属するサドカイ派、律法を重視するパリサイ(ファリサイ)派などがよく知られています。 さらに、聖書には明示されていないがエッセネ派と呼ばれる一派もあったことが近年の死海文書の研究によって明らかとなっています。 イエスはこのエッセネ派に属するユダヤ教の教師であり、律法の形式的遵守を重んじ厳しい選民思想を主張する伝統的なユダヤ教の教えに疑問を提起し、むしろ律法の精神的内容の重視と社会的弱者、特に異邦人の救いを述べていました。 サウロ(後のパウロ)は当初はパリサイ派に属するベニヤミン宗団の熱心なユダヤ教徒であり、こうしたイエスの教えに反対し、イエスの死後もなおイエスを信じる者たちを迫害していたのです。 そのサウロがダマスコへの途上で復活したイエスの顕現に遭い啓示を受け、一転してキリスト教の熱心な伝道者となり、初期キリスト教の神学的基盤を確立した中心的人物となりました。 いわゆるパウロの回心です。 オラトリオ「聖パウロ」の第 I 部はこのサウロの回心の物語が主題であり、第14曲でその情景が美しく描かれています。 第 II 部はパウロと名を改めたサウロの伝道の行跡を描き、その証を示しています。

オラトリオ「聖パウロ」の精神的中心主題は最初に序曲として高らかに演奏されるコラールに示されています。 「目覚めよ!と呼ぶ声あり」(Wachet auf, ruft uns die Stimme)というこのコラールは、終わりの時の主イエス・キリストの再臨を待ち望み、「心の目を覚ましていなさい」という教えであり、まさにメンデルスゾーンが「聖パウロ」を通して伝えたかった中心的思想なのです。 何故サウロは回心したか、その意味は何か、を示唆するコラールなのです。 そのコラールは第16曲において再び出現し、今度は合唱として歌われます。 したがって、第14曲のパウロの回心から、それを受けての第15曲の「起きよ、光を放て!」という壮大な合唱フーガ、そして第16曲のコラールまでがオラトリオ「聖パウロ」の中心的主題であるといえましょう。 その結果は神の叡智と認識への賛美として第 I 部の終曲(第22曲)で壮大に歌い上げられます。 この合唱は、けだしオラトリオ「聖パウロ」の圧巻です。

テキストの出所

オラトリオ「聖パウロ」のテキストは、コラールを除いて、新約聖書の「使徒言行録」が主要な出所となっています。 「使徒言行録」は、使徒たちの伝道の行跡を記したものです。 パウロは、もともと十二使徒の中には含まれていなく、むしろイエスに従う信徒たちを迫害したユダヤ教徒でしたが、イエスの顕現により回心し、一転してキリスト教を宣べ伝える使徒として目覚しい働きをし、むしろ初代キリスト教の神学的基盤を確立した重要な行跡のゆえに使徒言行録にその名を残しているのです。 このことは、使徒言行録が単なるイエスの弟子たちの人物描写や伝記ではなく、言葉と業による使徒たちの宣教の発展を主題とするものであり、「イエスの使徒である」(コリント人への手紙 I 9:1)との思想を表すものといえましょう。 中心はイエス・キリストによる救いの実現の描写にあり、人物の事跡や事件の推移はそのための器なのです。著者は「ルカによる福音書」の著者として知られるルカです。 ルカはアンテオケ出身の医者でありパウロの同伴者でもあったので、パウロの伝道旅行にも同行した者としてパウロの行跡を直接に目撃した者のなまなましい叙述も見られます。 歴史家でもあったルカは他の資料も活用しながら、使徒たちとの交わりによって学んだもの、殊に福音進展の経緯を中心に描いたものです。

使徒言行録の主題は「福音はエルサレムから地の果てまで広がる」ということです。 前半(1~12章)はエルサレムに生まれたキリスト教が次第にユダヤ、サマリア、シリアに広まり、ついにアンテオケに拠点をもつにいたった過程を示し、この中でサウロ(パウロ)の回心が描かれています(9章)。 後半(13~28章)は、さらにその福音が異邦人の国々に向かい、ギリシャを経てついにローマまで進展した歴史をたどっています。 その後半ではパウロが中心人物であり、その中でパウロは計3回の伝道旅行をしています。 第1回の伝道旅行(13~14章)ではバルナバが同伴しています。 エルサレムでの使徒会議をはさんで第2回(15~18章)は小アジアからギリシャへの伝道、そして第3回(18~21章)はエペソ(エフェソ)を中心としての伝道でした。 オラトリオ「聖パウロ」の第 II 部では、この第1回と第3回の伝道旅行の情景が描かれています。

オラトリオ「聖パウロ」のコラールについて

「聖パウロ」がコラールを含んでいることはメンデルスゾーンの同時代の人々にとってもすでに問題となっていたと言われています。 たしかに、バッハの受難曲においてはコラールは教会における演奏での会衆の参加を前提としたものであり、オラトリオの流れのなかで信仰告白の静止点として共同体の一体化としての役割を果たしていました。 しかし、「聖パウロ」は教会で演奏されることはなかったので、この役割は必要ではありませんでした。 にもかかわらず、「聖パウロ」には全部で5曲のコラールが組み込まれています。 その意味は、バッハにおけるような会衆の参加を求めるというよりも、パウロの回心によって示されている神の叡智と栄光の追認ないしは再確認という意味での傍証としての役割を担っていると考えられます。 その意味で、このオラトリオ「聖パウロ」の主題が冒頭の序曲でも示されたコラールにあったことを認識することが肝要です。

通常の形式のコラールは、まず導入部の第3曲に現れ、次いで主題のコラールが第16曲で示されます。 しかし第9曲のコラールはテノールのレシタティーヴォに導かれるという異例の形で導入されているもので、前述のメンデルスゾーンにおけるコラールの役割の意味が知られます。 さらに第29曲のコラールも、民衆の怒り(合唱)をなだめる形でとりなしのコラールとして、ソロの四重唱につづいて合唱で歌われています。 5番目のコラールは第36曲で、合唱の中で使徒信条によるコラール定旋律がソプラノ II のパートに響きます。 このように、バッハの受難曲におけるコラールとは違った意味で、「聖パウロ」におけるコラールは重要な役割を果していると言えましょう。

オラトリオ「聖パウロ」の構成

「聖パウロ」はオラトリオであり、全45曲は2部よりなり、導入部および2幕8場面より構成されています。 それぞれの場面における曲の構成ならびに概要は次のとおりです。

第 I 部

《導入部》 第1曲~第3曲 《呼びかけと詠唱》

オラトリオ「聖パウロ」の開幕を告げる導入部は、序曲と合唱、それにコラールの3部構成によって構成されていることが特徴的です。 序曲はオラトリオ全体の主題を示し、主題であるコラール「目覚めよ!と呼ぶ声あり」のコラール旋律が提示されます。 第2曲の合唱は主に対する呼びかけの冒頭合唱です。 使徒言行録のテキストに基づいて信者達の祈りが高らかに歌われ、神がこの宇宙の創造主であることを宣言します。 最後にゆるぎない神への賛美のコラールによって締めくくられています。信ずる者の心を一つに導く信仰の表明といえましょう。

第1幕 《パウロの回心》

《場面1》 第4曲~第11曲 《ステファノの殉教》

オラトリオ「聖パウロ」の最初の場面はステファノの殉教の物語です。 パウロの物語にいきなりステファノが登場するのは唐突な感じがするかもしれませんが、イエスに従ったステファノに対するユダヤ教徒の迫害を示すことによって当時のサウロ(=パウロ)を取り巻く状況をまず前提として示しているものです。

まず第4曲で聖書の物語が語られます。その間に偽証人(バス)が嘘の証言をします。 次いで第5曲の合唱では、伝統的な教え・習慣の転換を迫られた民衆の動揺と怒りが顕わになります。 第6曲ではステファノの演説が述べられます。ステファノはモーゼとアロンの時代に神が人間に対して何をされたかを解き明かし、聖霊に逆らってきた人々を告発します。 第7曲は、エルサレムを諭す天の声とも言うべき悲しくも美しいアリアです。 第8曲で民衆(合唱)は、ステファノを石で打ち殺せと叫びます。 第9曲はレシタティーヴォに導かれるコラール《主よ、私はあなたにわが身を委ねます》であり、主なる神に対する心からの信頼を表明します。 《場面1》の最後(第11曲)は石打ちの刑によって殺されたステファノを悼む悲しくも美しい挽歌で閉じられます。 ≪左図:ステファノの石打ち(1660)≫

《場面2》 第12曲~第22曲 《サウロ(後のパウロ)の回心と洗礼》

第12曲より第1幕の《場面2》となり、いよいよオラトリオ[聖パウロ]の核心部分に入ります。 まずバスによる荒れ狂うサウロの殺戮のアリアが歌われ(第12曲)、続いて詩篇の祈りがアリオーソによって歌われます(第13曲)。 そしていよいよサウロの回心の場面となります。 女声合唱による顕現のイエスとサウロ(バス)の対話の場面です。 これは、いわば天(イエス)と地(サウロ)の対話とも言うべき場面であり、オラトリオ「聖パウロ」の核心的主題を示すシーンです。 女声による天上からのイエスの声は神々しく美しい合唱で響きます(第14曲)。 そして180度の変身をとげ、一転してイエスの教えを宣べ伝える使徒となるのです。 テーマは“光”です。“光の子(信徒)”と“闇の子(異教徒)”の葛藤がこのオラトリオの基本テーマであり、第14曲で光の中に顕現するイエス、第15曲で壮大に歌われる“起きよ、光を放て!”、さらには第16曲のコラールで示される“灯火をかかげよ”に象徴されています。 このコラールはオラトリオ「聖パウロ」の中心思想を示すコラールであり、序曲において示されたコラールがここで合唱によって鮮明に確認されます。 つづいてイエスの顕現により回心したサウロの状況が語られます(第17曲)。 第18曲は回心したサウロの祈りのアリア(詩編)です。 第12曲の殺戮のアリアに対応するもので、サウロの回心がより鮮明に示されます。 第19曲ではアナニアに下されたイエスの言葉が語られます。 そしてサウロの感謝の祈りと合唱が交読の形で示されます(第20曲)。 つづいて、イエスの言葉をサウロに伝えるアナニアの呼びかけが示されます。 すると、たちまちサウロの目からうろこのようなものが落ち、再び見えるようになる様がオーケストラの激しい動きとともに語られます(第21曲)。 第22曲は第 I 幕を締めくくる大合唱です。 神の叡智と認識を称えるローマ人への手紙のパウロの言葉が圧倒的な音楽とともに歌われます。 ≪左上図:聖パウロの回心(カラバッジョ)≫

第2幕(第 II 部)《パウロの異教徒伝道》

《場面3》 第23曲~第27曲 《伝道1、パウロとバルナバの派遣》

第23曲より第2幕に入り、オラトリオ[聖パウロ]の後半の場面に入ります。 第2幕では第1幕でのパウロの回心を受けて、その証としてのパウロの異教徒に対する伝道の物語が歌われます。 まず、《場面3》ではパウロとバルナバが教会に派遣されて主イエスの名のもとに伝道が始まります。 第23曲の合唱では、「黙示録」の言葉が引用され、終わりの世に再臨する主の栄光が歌われ、壮大な合唱フーガが展開されます。 続いて、パウロとバルナバが教会に派遣された状況が語られます(第24曲)。 この時よりサウロはヘブライ名を捨ててラテン名のパウロとなります。パウロはバルナバとともに聖霊によって満たされ、心を一つにしてキリストを広めるために語ります(第25曲)。 そしてその心は信徒の合唱に受け継がれ、二人を称え励ます響きが世界に広がります(第26曲)。 そして、詩編による「主の真理を永遠に宣べ伝えさせて下さい」 という祈りとともに伝道の旅に送り出されるのです(第27曲)。 ≪左上図:リュストラのパウロとバルナバ(ベルヘム、1650)≫

《場面4》 第28曲~第31曲 《伝道2、パウロへの迫害》

第2幕、《場面4》ではパウロの伝道に対する迫害の状況が語られます。 まず、パウロの伝道に対する激しい怒りと迫害がパウロのかつての信仰仲間であったユダヤ教徒(合唱)によってパウロに浴びせられます。 ユダヤの民衆はパウロが語る教えに反対し、パウロを殺そうとして話し合いました(第28曲)。 ユダヤの民衆は、パウロはキリストに従う者を迫害していたとし、パウロをののしり、殺せと叫びます(第29曲)。 この第29曲の中で、怒り狂う民衆に対する穏やかな《とりなしのコラール》が最初はソロの四重唱によって、つづいて合唱によって流れます。 しかしパウロとバルナバはともどもに大胆にかつ公然と語りました(第30曲、および第31曲)。

《場面5》 第32曲~第36曲 《伝道3、リュストラにおける足なえの治療》

第2幕《場面5》では、パウロはリュストラで足なえの男を治すという奇跡を顕します(第32曲)。 その奇跡を見て異教徒の民衆がざわめき、彼らの神の顕現と錯覚し(第33曲)、バルナバをジュピター(ゼウス)、パウロをメルキュリウス(ヘルメス)と呼びます(第34曲)。 そして、パウロ達に捧げ物をし祈りを捧げる異教徒の群衆による偶像崇拝の甘美な陶酔的な合唱が流れます。(第35曲)。 そうした様子を見たパウロは怒り、説教をします。 この長大な説教は、最初はレシタティーヴォで始まりますが、次第に高潮し、「あなた方は知らないのか」よりアリアとなり、合唱に受け継がれて壮大なフーガとなります(第36曲)。 この合唱の中で、ドイツ語の使徒信条「我は唯一の神を信ず」がコラール定旋律として 流れ、第2幕のクライマックスとなります。 ≪左上図:リュストラで足なえを治すパウロ(デュジャルダン、1663)≫

《場面6》 第37曲~第40曲 《伝道4、ユダヤ教徒と異教徒による迫害》

場面5での異教徒の偶像礼拝をみたパウロたちは「我らの神は天におられる」と説教をしますが、それを聞いて群衆は興奮して反抗し、ユダヤ人異教徒ともども怒り荒れ狂って言います(第37曲)。 そして、「石を投げろ、殺せ」という、パウロに対する憎悪を剥き出しにする群衆の叫びが響き渡ります(第38曲)。 こうして、パウロは行く先々で迫害を受けましたが、主によって力づけられ、説教を続けました。 多くの異邦人たちがそれを聞いていました(第39曲)。 そのようなパウロの証に対して、「命の冠を授けよう」という慰めと励ましの神の声(カバティーネ)が下ります(第40曲)。

《場面7》 第41曲~第43曲 《パウロのエフェソの教会との別れ》

場面は一転して、パウロの最後の第3回の旅行に移ります。 エフェソで多くの日を過ごした3回目の旅行の終わりに、ミレトスにいたパウロはエルサレムに戻るにあたりエフェソの教会の長老たちを呼び寄せ、別れの挨拶を述べました(第41曲)。 パウロはエフェソで行った主イエス・キリストへの信仰の証について述べ、エルサレムへ行くことを告げ、エルサレムで待ち受けている苦難と覚悟を予言します。 そうしたパウロの身の上を案じて信徒たちが気遣い(第42曲)別れを惜しみます。 パウロはそうした信徒たちを励まし、共に祈りを捧げ、エフェソより船出します(第42曲)。 パウロの旅立ちを受けて、父なる神の愛を称える穏やかな合唱が流れます(第43曲)。 ≪左上図:エフェソで説教するパウロ(ルシェール、1649)≫

《場面8》 第44曲~第45曲 《パウロの殉教の死と信仰の証》

いよいよ最後の場面となります。エルサレムでの受難と死に対して(実際には死ななかったが)、その証を祝福して、終わりの日に正しい審判者である主より「義の冠」が下されることが示されます(第44曲)。 それを受けて、合唱が「彼にのみでなく、すべてに授けてくださる」と応じ、「わが魂よ、主をほめよ!」という信仰告白と賛美の言葉が広がって行きます(第45曲終結合唱)。

J . S . バ ッ ハ 「 ロ 短 調 ミ サ 曲 」

町田フィルハーモニー合唱団 土田貞夫

 

バッハの“白鳥の歌”-ロ短調ミサ曲

『ロ短調ミサ曲』 はバッハ(1685-1750)の生涯での最後の作品とされています。 すでに老齢であったバッハは、自らの死を予感し、最後に 『ロ短調ミサ曲』 の作曲に努めたと思われます。 その意味で、バッハのミサ曲は後世への記念碑として創作されたと言うこともできましょう。 それは一種の音楽的遺産であり、過去のさまざまな音楽様式および作曲技法の集大成とも言えます。 死を目前にしたバッハは、 『ロ短調ミサ曲』 を後世への遣産として創作し、それまでの音楽史上の諸様式を普遍的な高みで結合し集大成しようとしたのです。 また、プロテスタント教会とカトリック教会の相対立する諸要素を融合することによって、普遍的な記念碑を打ちたてようとしたものと思われます。

作品の成立

1748年から1749年にかけて作曲された 『ロ短調ミサ曲』 は、バッハによる唯一の完全なミサ曲、すなわち、古代教会の典礼に基づいた5つの部分、キリエ、グローリア、クレド、サンクトゥスおよびアニュス・デイよりなるミサ通常文によるミサ曲です。 冒頭、第 I 部Missaを構成するのは〈キリエ〉と〈グローリア〉から成る〈ミサ〉すなわち独立した短ミサ曲(ミサ・ブレヴィス)で、1733年にドレスデンの宮廷に捧げられたものです。

第 II 部 〈ニケア信経Symbolum Nicenum〉はいわゆる〈クレド〉の章であり、〈オザンナ〉以下の第 IV 部とともに、1748-49年に作曲されました。 この〈ニケア信経〉は、最晩年におけるミサ曲創作のおそらく核心をなした部分と解釈することができるでしょう。

第 III 部〈サンクトゥスSanctus〉は、クリスマス第1日のルター派礼拝のために、1724年にライプツィヒで作曲されたものです。 全曲中最古の部分にあたります。 そして、普通のミサ曲ではこの〈サンクトゥス〉の章に含まれる〈オザンナ〉が、バッハのミサ曲では〈オザンナ、ベネディクトゥス、アニュス・デイ、ドナ・ノビス・パーチェム〉として、第 IV 部を構成する形になっています。

では、このミサ曲はいかなる目的でまとめられたのでしょうか。 通作ミサ曲を礼拝で用いる習慣はルター派には存在しませんでした。 したがってこの作品の形態はカトリックの礼拝を指向するように見えます。 だが、バッハがこの時期にとくにカトリック教会のために筆をとったと推測する根拠はありません。 したがって 『ロ短調ミサ曲』 は、晩年のバッハがカトリックをもプロテスタントをも超える汎宗教的態度で綴った作品とみるのが、今日の通説となっています。

作品の構成と概要

『ロ短調ミサ曲』 は4部計27曲の楽章より構成されています。 それは前述のようにそれぞれの部分の成立の過程との関連もあるとみられます。 (※注:曲番号はベーレンライター版によっている。)

第 I 部 Missa ミサ

Kyrie 憐れみの賛歌(3曲):第1曲~第3曲

Gloria 栄光の賛歌(9曲):第4曲~第12曲

第 II 部 SymbolumNicenum ニケア信経《使徒信条》

Credo 信仰告白(9曲):第1曲~第9曲

第 III 部 Sanctus 感謝の賛歌(1曲)

第 IV 部 Osanna,Benedictus,AgnusDeietDonanobisPacem

平和の賛歌(5曲):第1曲~第5曲

第 I 部、冒頭の‘キリエ’の部分は、第1曲 Kyrieeleison〈主よ、憐れみたまえ〉、第2曲 Christeeleison〈キリストよ、憐れみたまえ〉、第3曲 Kyrieeleison〈主よ、あわれみたまえ〉の3曲より構成されています。

この第 I 部の〈キリエ、憐れみの賛歌〉の3曲と〈グローリア、栄光の賛歌〉の9曲はもともと、ドレスデン選帝侯に捧げられた〈ミサ曲(ミサ・ブレヴィス)〉を統一的に構成していました。 このうち〈キリエ〉の3曲は、それぞれ対照的な技法で書かれています。 すなわち、第1曲Kyrieeleison〈主よ憐れみたまえ〉はバロック的な新様式の対位法で書かれ、敬虔な祈りのみなぎる導入部に続いて、オーケストラのオブリガートを伴う5声のフーガを壮大に発展させています。 第2曲Christeeleison〈キリストよ憐れみたまえ〉(ニ長調)の部分は「子」としてのキリストに呼びかける、同時代のオペラの甘美な二重唱の様式が採用され、天上の至福と恍惚たる憧れを放射し、厳かな崇拝の精神で父なる神と聖霊なる神に語りかけるものであり、第1と第2のキリエと、明瞭な対照を形づくるのです。 そして第3曲のKyrieeleison(嬰へ短調)では、荘重な古様式による4声のフーガで対位法による回顧的方法がとられ、その意味で独立したオーケストラの伴奏が与えられています。 この‘キリエ’の部分は、作曲の様式と技法の一連の高度な対照的形式という点からして、まさにバッハの偉大さを示すものと言えましょう。

‘グロリア’の楽章は、第8曲DomineDeus〈主なる神、天の王〉を中心として、顕著な対称構造を示しています。 すなわち、4つの大規模な合唱、第4/5曲、第7曲、第9曲および第12曲と、同様に4つの大規模なソロの楽章-第6曲、第8曲、第10曲、および第11曲より構成されています。(下図表)

 

第 II 部、ニケア信経《使徒信条》の部分は三位一体の神に対する信仰を告白するものであり、キリスト教神学の真髄を示すものです。 このテキストは西暦325年のニケア公会議で認められたもので、極めて長大で内容的にも変化にとんでいるものです。 バッハはテキストを9つの段'落に分け、3曲ずつ3つの部分計9つの楽章より構成しています。 そこには対称的な構造を持ち、核心を中央に置く顕著な十字架構造が認められます。 その中核に置かれるのが、キリストの降誕・受難・復活を扱う3つの合唱曲です。 すなわち、一対の堅信の典礼歌である第1曲と第2曲で始まり、そして同様に一対のやはり堅信の典礼歌である第8曲と第9曲で閉じられています。 これらの楽章は、2つのソロのアリア〔第3曲、第7曲〕によって結びつけられています。 そして最終的にその中心となるのは、このニケア信経のキリスト教的中核をなすキリストの降誕-受難-復活を表す3つの合唱曲、第4曲、第5曲、および第6曲なのです。(下図表)

 

第 III 部は、Sanctus〈聖なるかな〉は1曲のみで構成されています。 ここでは、トランペット群、オーボエ群、弦と合唱の群が3とその倍数によるグループをなして神を壮大に称え、そこから「天と地は神の栄光に満てり」の活発なフーガが起こってきます。 この節は旧約聖書「イザヤ書」6章3節によるものですが、この合唱で用いられた6声部は、天使セラフィムが6つの翼をもってこのように呼びかわしていたことから、暗示されたものであろうと言われています。

第 IV 部は次の5曲よりなります。 第1曲Osanna‘オザンナ’〔第3曲で再現〕は1730年代の世俗カンタータより、また第2曲Benedictus‘ほむべきかな’は未知の原典よりの引用です。 第4曲AgnusDei‘神の子羊よ’は以前の楽曲のパロディです。 第5曲Donanobispacem‘我らに平和を与えたまえ’は、音楽的にはグロリアの第7曲の再現です。 しかしながらこれは、最後の楽節を感謝の歌として、この作品を締めくくるバッハの芸術的意図を示すものです。

バッハの最後の祈り、「われらに平和を与えたまえDonanobispacem」では、内なる平安の感謝とともに、外なる平和を希求する確信にみちた賛美がニ長調で高らかに歌われ、全曲を結びます。 ここで求められている平和(pax)とは、いみじくもベートーヴェンがミサ・ソレムニスのこの個所で添書きしたように「内なる平安と外なる平和を祈りて」という意味ですが、その「外なる平和」が現代の世に至るまで如何に困難なものであるか、を見通していたかのように、その調べはなんと悲哀に満ちていることでしょうか。 しかしそれは、天に向かって限りなく高く止揚する、感謝と賛美にみちあふれた「至福の悲哀」ということが出来ましょう。 この終曲には、この曲にかけるバッハの想いが究極的に凝縮されていると言えます。

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