2019年2月26日

 

上手と下手

(かみてとしもて)

安倍 武明

 

 表題は「じょうずとへた」ではありません。「かみてとしもて」です。舞台で「ソプラノは下手へ!」とか「アルトは上手!」などと言われて戸惑ったことはありませんか?この用語の由来を探ります。

 古くから「天子は南面す」という言葉があります。天子たるものは南向きに座るものだ、という意味です。この出典は諸説ありますが、中国で4000年程前に成立したという「易経」の、「聖人南面して天下を聴き、明に嚮ひて治む」が大元でしょう。「聖人が顔を南に向けて政治を聴けば、天下は明るい方に向かって治まる」という意味で、元号「明治」の出典でもあります。時が経っても不動の北極星は宇宙の中心と考えられて神格化され、南面して北極星を背負う天子に神性を与えたのです。ですから、京都の紫宸殿の玉座は南を向いていますし、現在の天皇も公式の行事の際には南面しておられるはずです。国会議事堂でも天皇は南を向いて座られます。平城京や平安京では都市そのものが南を向いて作られていました。数年前のお寺の説法で、「お釈迦様は南を向いて座られたということですが、皆さんは無理に南を向いて座らなくても良いのです。どこに座ろうとも皆さんの向いている方向が南です」と聞きました。なるほど仏教は融通無碍だなと改めて感じたことでした。

 

 さて、南を向いた場合、左手は東、右手は西になります。京都の東が左京区、西が右京区なのもそういう理由です。東は日の出の方向で始まりを表し、西は日の入りの方向で終わりを表しますから左が右よりも優位としました。ひな人形でおなじみの左大臣と右大臣では左大臣が位が上です。天子の左側ですから向かって右側にいます。それを舞台用語に持ち込み、演者から見て左手(客席からは右手)を上手、右手(客席からは左手)を下手と言うのです。これは日本特有の言い方で、中国ではどうかと調べたら、京劇では役者が舞台に登場するのは基本的に日本で言う下手から、退場は上手からなので、下手を「上場門」、上手を「下場門」と言うそうです。中国は王朝が変わるごとに左上位と右上位がころころ変わったらしく、一貫した言い方はなさそうです。英語では上手は stage left、下手は stage right と呼びますからやはり演者から見た方向ですね。左が優位ならば、左遷とは地位が落ちることなのだからおかしいとおっしゃいますか?諸説ありますが、その一つを紹介しましょう。毛筆で名簿を役職順に縦書きすると、右から左に書いてゆくのですから地位が下がれば名前は左に移りますね。それで左遷と言うのだそうです。際だって優れている人のことを「右に出る者はない」と言いますがこれも似た話で、名簿を右から左に書いてゆけば一番目の人の右側には誰もいないことになり、それで右に出る者はいない、ということです。

 

 これが外国に行くと正反対になるのですから面白いことです。キリストがゴルゴダの丘で十字架に架かったとき、二人の盗賊も左右で磔になりました。その光景は多くの宗教画に描かれています。ルカ福音書によれば、キリストの左側にいた一人がキリストに悪口を吐いたとき、右側の一人はそれをたしなめ、そしてキリストに「あなたがお帰りになった時には、私を思い出してください」と言いました。キリストは「あなたは今日、私と一緒にパラダイスにいるだろう」と言われたとのことです。これを引いて、キリスト教圏内では右手(向かって左)が優位になりました。ミサ曲のCredoのラテン語歌詞に、”Qui sedes ad dexteram Patris”と言うところがありますが、”dexteram”はまさに「右」(「左」はsinister)で、「父の右に座しておられる方よ」という意味になり、キリストを指しています。英語の”right”は「右」の他に「正しい」とか「権利」という意味があることはご存じでしょう。オリンピックの表彰台を考えてください。中央が金メダル、その右側(向かって左)が銀メダル、左側(向かって右)が銅メダルになっています。天皇陛下と皇后陛下のお立ち位置はどうなっていますか?いつも天皇の左側(向かって右)に皇后がおいでになります。天皇が優位ですから、日本の伝統では皇后は右側にお立ちになるはずです。実際以前はそうでしたが、明治の世になって急速に欧米化が進み、外国の要人のおもてなしの時に具合が悪いということで条例を変更して立ち位置を外国に合わせました。おひな様のお内裏様の位置を思い出してください。お内裏様とは天皇と皇后のことです。男びなが向かって左、女びなが右になっていますか?それは並び順を国際的に変更したので、それに合わせたのです。しかし、京都では変えるなど飛んでもないと、伝統に従って男びなが向かって右、女びなが左のままにしました。従って関東と関西では並び方が違うのです。

 

 ついでですが、広く歌われている「うれしいひなまつり」の歌詞には大きい間違いが2つあることをご存じですか?作詞したサトーハチローはすぐに間違いに気がついたらしいのですが、歌があまりにはやってしまったので訂正もできず、この歌がラジオで流れるたびに不機嫌になって、止めてくれと言ったそうです。2番に「お内裏様と おひな様」とありますが、お内裏様が男びな、と勘違いしたのでしょう。男びなと女びなの一対でお内裏様です。おひな様はひな人形の総称ですから、この歌詞は同じ事を2回言っていることになります。もう一つは3番の「赤いお顔の 右大臣」です。赤い顔をしているのは右大臣ではなく左大臣です。向かって右にいるから右大臣だと思ってしまったのですね。

 

 最後に、舞台で上手、下手をすぐに判断できる便利な言葉をお教えしましょう。それは「ピアニシモ」です。ごく弱く、ではありません。「ピアノはしも」と覚えてください。グランドピアノは必ず下手に置きます。もしも上手に置いたら、蓋の位置関係で客席とは反対側に音が流れてしまいますし、ソリストや指揮者も見えません。ピアノを使わないときでも思い出してくださいね。左と右については面白い話がまだまだありますが、それはまたの機会に。

 



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