心の四季

 

町田フィルハーモニー合唱団 安倍武明

 

吉野弘作詞、髙田三郎作曲の混声合唱組曲「心の四季」は、「水のいのち」と並ぶ髙田三郎の代表作である。NHK名古屋放送局の委嘱により混声合唱として作曲され、初演は1967年11月23日、合唱:名古屋放送局合唱団、指揮:石丸寛で行われた。その後、女声合唱に編曲され、今井邦男や須賀敬一による男声合唱版も存在し、広く歌われている。

吉野弘は1926年に山形県酒田市に生まれた。帝国石油に入社し、徴兵検査に合格するが入隊寸前に終戦となり、戦後は労働組合運動に専念するが肺結核のため3年間療養生活を送った。療養中に詩作を始めて注目され、1962年に退職してコピーライターとなり、1980年からは文筆を専業となる。代表作には結婚披露宴のスピーチでよく引用される「祝婚歌」をはじめ、国語の教科書にも掲載された「夕焼け」「I was born」などがある。また校歌や社歌の作詞も行っている。随筆や評論も手掛け、新聞、雑誌の詩壇の選考者も担当した。戦後の詩壇をリードした人物の一人で、著名な現代詩作家であった。2014年、87歳で死去。

髙田三郎は吉野の作風に注目し、「I was born」に作曲することを考えたが、吉野はこの詩は附曲に適当でないとし、別に30ほどの詩を提示した。この中から7曲を髙田が選んで成立したのが「心の四季」である。

 

 風が

詩は作曲に際しての吉野の書き下ろし。春の桜、夏の葡萄、秋の銀杏、冬の雪を読み込み、人の弱さを心に刻む。

 

 みずすまし

みずすましに仮託して、日常の苦しさを静かに歌う。

 

 流れ

急速な流れを表すピアノに乗って、流れに逆らって進む魚を力強く歌う。流れはむしろ卑屈なものたちを川下へ、川下へと押し流して行く。

 

 山が

山の澄んだ空気に響き合う木霊。その中に行けたらという願い。

 

 愛そして風

詩は作曲に際しての吉野の書き下ろし。枯草は、風が走ればそよぐが、風が去れば、素直に静まる。しかし人だけは、過ぎた昔の愛の疾風に、いつまでも吹かれざわめく。

 

 雪の日に

激しい雪を表すピアノの前奏に続いて、雪と人の哀しみを歌う。吉野は山形出身であり、「東北の雪は、おさえきれない人間の精神のように、はげしくいつまでもふりつづける」と言っている。この曲のフォルテは東北の雪のフォルテなのである。また、作曲者はこう述べている。「終結部に現われる最低音Fとその周辺の音の連打、そしてついにそのF音上に停止するピアノの伴奏型は、歌舞伎で用いられる(雪の太鼓)の効果音を、作曲者流にピアノに移しかえたものである」

 

 真昼の星

詩は作曲に際しての吉野の書き下ろし。作曲者はこう述べている。「<雪の日に>でこの組曲を終わった方がよいと思った人も昔はあったが、今はすべての人が<雪の日に>の余韻の中で、この<真昼の星>のなぐさめを味わいながら、この組曲をきき了えてくれている」

 

※髙田三郎の言葉等はWikipediaを参考にさせて頂いた。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%83%E3%81%AE%E5%9B%9B%E5%AD%A3

 

 

 ヴ ェ ル デ ィの レ ク イ エ ム

 

町田フィルハーモニー合唱団 安倍武明

 

ジュゼッペ・ヴェルディ(1813-1901)は87年の生涯中に26曲のオペラを作った。特に第16作「リゴレット」(1851)から第24作「アイーダ」(1871)ではヴェルディの個性が確立され、傑作群が生み出された。「リゴレット」「トロヴァトーレ」「椿姫」の三つは「国民的三部作」と呼ばれ、今に至るまで不動の人気を誇っている。60歳を越えてようやく名声を得た彼は、その後はオペラから離れ、長い沈黙に入るのである。その理由の一つはワーグナーの台頭である。ワーグナー派の人々がイタリアにも増え始め、イタリアオペラの旗手となったヴェルディは砂を噛むような思いだったらしい。しかし10年の沈黙を破って、ついに第25作「オテロ」(1887)を世に問い、歴史的な大成功を収めた。最後となった26作目のオペラは「ファルスタッフ」(1893)である。1901年1月に脳卒中で死去するが、ミラノ全市が彼のために喪に服した。彼の遺志により葬儀では一切の音楽演奏が禁じられたが、それでもその棺が運ばれる早朝、ミラノの沿道に参集した群衆は自然とオペラ「ナブッコ」の中の合唱曲「行け、我が想いよ、黄金の翼に乗って」を歌ったという。その1か月後、妻ジュゼッピーナが眠る、彼らの建てた音楽家のための養老院「憩いの家」にある礼拝堂に改葬される際には、800人の合唱隊および30万人にも及ぶ群衆が改めて「行け、我が想いよ、黄金の翼に乗って」を歌ってこの偉大な作曲家を偲んだ。このとき指揮をしたのは若きアルトゥーロ・トスカニーニであった。レクイエムが完成したのはオペラから離れていた1874年。 徹頭徹尾オペラ的手法で書かれたこの曲は、「レクイエムではない」という批判も強かったが、絢爛たる劇的な表現、彼のオペラを彷彿させる雄渾で親しみやすい旋律によって、聴衆からは初演時から熱狂的な賞賛を浴びた。 ヴェルディの2番目の妻で彼を献身的に支えたジュゼッピーナはあまりの賛否両論に閉口して、このような手紙を友人に送ったという。「人々は宗教的精神がモーツァルトの、ケルビーニの、あるいは他の作曲家のレクイエムに比べて多いの少ないの、などと論じています。私に言わせれば、ヴェルディのような人はヴェルディのように書くべきなのです。つまり、彼がどう詩句を感じ、解釈したのかに従って書くということです。仮に宗教にはその始まり、発展そして変化というものが時代と場所に応じてあるのだ、ということを認めるならば、宗教的精神とその表現方法も、時代と作者の個性に応じて変化しなければなりません」。今やヴェルディのレクイエムは、モーツァルトやフォーレの曲と並んで三大レクイエムと呼ばれている。

 

作曲の発端は、1868年のロッシーニの死去にさかのぼる。 ヴェルディはその死を悼むため、当時のイタリアを代表する13人の作曲家の連作によるレクイエムを完成し、一周忌に演奏することを提案したのである。 人選、曲の分担は決定し、ヴェルディも”Libera me”を書いて、ともかくレクイエムは完成した。 ところが、作曲・出演をすべて無報酬とするというヴェルディの方針に異を唱える動きが出て、ついに計画は挫折の止むなきに至り、草稿は放置されることになってしまう。

 

1873年に、ヴェルデイが深い敬意を払っていた国民的詩人のアレッサンドロ・マンゾーニが88才で死去した。 ヴェルディは彼のために新しいレクイエムを書くことを決意し、かつての”Libera me”も加筆して終曲に置いて、1874年5月22日、マンゾーニの一周忌にミラノのサン・マルコ寺院で初演を行った。 これが本日演奏するレクイエムであって、その成立の由来から「マンゾーニのレクイエム」とも呼ばれる。

 

曲は次の七つの部分からなり、全曲演奏には70~80分かかる大曲である。

 

第1曲“Requiem et Kyrie”「永遠の安息を与え給え、および主、憐れみ給え」 イ短調

チェロの静かな下降音型で始まり、イ短調の和音が示された後、”Requiem”を合唱の男声、さらに女声で、続いて混声で”Requiem aeternum” 「主よ、永遠の休息をかれらに与え給え」と、つぶやくようにひそやかに歌う。 女声の”dona eis,Domine” 「主よ、我らに与え給え」を経てイ長調に転じ、”et lux perpetua luceat eis” 「絶えざる光を彼らの上に照らし給え」と合唱が最弱音で歌う。 ヘ長調に転調して、無伴奏の合唱が”Te decet hymnus,Deus,in Sion” 「主への称賛をふさわしく歌うのはシオンにおいてである」を、バスから上声部へフガート風に展開し、静かに結ばれた後に最初の”Requiem”が再現する。

独唱テノールが力強く”Kyrie eleison” 「主よ、憐れみ給え」を歌い出し、独唱バス、独唱ソプラノ、独唱メゾ・ソプラノが次々に加わる。 合唱も加わって転調を重ねながら高揚した後、最弱音の静かなイ長調の和音で閉じられる。

 

第2曲 “Dies irae” 「怒りの日」

最後の審判の恐怖と、それを免れるための祈りからなる、レクイエムの中枢部。 九つの曲で構成されているが、ヴェルディのオペラ的手法が最も効果を上げ、凄まじい表現を可能にしている。 冒頭部は劇音楽等にもしばしば利用され、非常に有名である。

 

1.”Dies irae” 「怒りの日」 ト短調

爆発のように強烈な主和音が全合奏で4回奏され、最強音の合唱が”Dies irae” 「怒りの日」を絶叫する。 激しい下降音型は、地獄へ堕ちる者を象徴しているかのようである。 嵐のような感情が収まってくると、合唱が”Quando Judex est venturus” 「審判者が来給うとき」と恐ろしげにささやく。

 

2.”Tuba mirum” 「くすしきラッパの音」 ヘ短調

ステージ上の金管に左右の客席に配置された金管が加わって壮大なファンファーレを吹き鳴らす。 これは死者を呼び覚ます合図 にあたり、凄絶な効果を発揮する。 合唱バスが”Tuba mirum spargen sonum” 「この世の墓の上に、不思議な光を伝えるラッパが鳴り渡る」と激しく歌い、全合唱が繰り返す。 イ長調の主和音でぴたりと停止すると、死への足取りのようなとぎれとぎれの弦の音型 に乗って、独唱バスがニ短調で”Mors stupebit et natura” 「人間が審判者に答えるためによみがえる時、死と自然界は驚くであろう」と歌う。

 

3.”Liber scriptus” 「書き記された書物は」 ニ短調

独唱メゾ・ソプラノが”Liber scriptus proferetur” 「その時、この世を裁く全てのことが書き記されている書物が持ち出されるであろう」と歌い、合唱が背後でおののくように”Dies irae”を繰り返す。 やがて弦の大波のような走句に導かれて、最強音の合唱が前とは異なる音型の”Dies irae”を歌うが、やがて弱音のニ音の長いユニゾンとなって停止する。

 

4.”Quid sum miser” 「憐れなる我」 ト短調

 

ファゴットの分散和音に乗って、独唱メゾ・ソプラノが”Quid sum miser tunc dicturus” 「その時憐れな私はどんな弁護者に頼もうか」と歌い出し、独唱テノール、独唱ソプラノが加わって美しい三重唱になる。

 

5.”Rex tremedae” 「みいつの大王」 ハ短調

合唱バスがハ短調で”Rex tremedae majestatis” 「恐るべきみいつの大王よ」と厳かに呼びかけると、 合唱テノールが三声部に分かれて繰り返す。 独唱バスが”Salva me, fon pietas” 「憐れみの泉よ、私をも救い給え」と明るく歌って独唱が次々に加わり、合唱と共に転調を重ねながら”Salva me”を繰り返してゆく。

 

6.”Recordare” 「思い給え」 ヘ長調

独唱のメゾ・ソプラノとソプラノが”Recordare jesu pie” 「慈悲深いイエスよ、思い給え」と歌って、オペラの二重唱を思わす流麗な重唱を繰り広げる。

 

7.”Ingemisco” 「我は嘆く」 ハ短調

独唱テノールが”Ingemisco,tamquam reus” 「我はとがあるものとして嘆く」と、これまたオペラのアリアのように美しく歌う。 この部分はテノールの独唱曲として演奏会で取り上げることもある。

 

8.”Confutatis” 「判決を受けたる呪われし者は」 ホ長調

弦の急速な上昇音型に導かれ、独唱バスが”Confutatis maledicitis” 「呪われた者どもを罰し、激しい火の中に落とし給う時」と激しく歌い出すが、続く”Voca me cum benedictis” 「我を選ばれた者の一人として招き給え」では柔和な表情を見せる。 突然 “Dies irae”冒頭の激しい部分が再現するが、流麗な弦の下降音型で遮られる。

 

9.”Lacrimosa” 「涙の日なるかな」 変ロ短調

この曲の中で最も美しい部分である。 独唱メゾ・ソプラノが”Lacrimosa dies illa” 「罪ある人が裁かれるために、塵から甦る日こそ、涙の日である」と歌うと、独唱バスが受け継ぐ。 合唱の女声三部と独唱のソプラノ、メゾソプラノが”Huic ergo parce, Deus” 「願わくば神よ、彼を憐れみ給え」を優しく歌い、合唱と独唱の男声はユニゾンで主題を歌って行く。 無伴奏で独唱が柔らかな四重唱を聴かせ、合唱と全合奏が加わり、最弱音から一気にクレッシェンド、デクレッシェンドする印象的なト長調の和音による”Amen”で静かに結ぶ。

 

第3曲 “Domine Jesu” 「主イエズスよ」 変イ長調

独唱だけの部分。 チェロの示す主題に続いて、メゾ・ソプラノとテノールが”Domine Jesu Christe” 「主イエズス・キリストよ」と歌い、バスが加わって”Libera animas omnium fidelium de functorium” 「死んだ信者の全ての霊魂を地獄の口から解き放ち給え」となって、ソプラノも加わってくる。 バスから順次に”Quam olim Abrahae promisiti et semini ejus”  「主がその昔、アブラハムとその子孫に約束し給うたごとく」と入ってゆき、ソプラノに続いてテノールの強烈な印象を与える半音階的下降を経てハ長調で終止する。 テノールが”Hostias et preces tibi” 「主よ、称賛のいけにえと祈りを我らは捧げ奉る」と抒情的に歌い出して四重唱となり、”Quam olim Abrahae””Libera animas omnium”の主題が再現して、後奏が美しくこの曲を閉じる。

 

第4曲 “Sanctus” 「聖なるかな」 ヘ長調

合唱は二つに分かれる。 トランペットが鋭いリズムを刻み、男声がまず”Sanctus” 「聖なるかな」と呼びかけ、全合奏と共に全八声部が爆発的な喜びの声を上げる。 第1合唱ソプラノの示す軽快な”Sanctus,Dominus,Deus Sabaoth” 「聖なるかな、万軍の天主なる主よ」の主題による壮大華麗な八声部の二重フーガが展開される。 静かな”Benedictus,qui venit in nomine Domini” 「主の御名によりて来り給う者は祝せられ給え」を経て、二つの合唱は”Hosanna in excelsis”  「いと高きところに、ホザンナ」と交互に呼び交わしながら高揚してゆき、全合奏による半音階的走句に乗って高らかに力強く歌ってこの曲を閉じる。

 

第5曲 “Agnus dei” 「神の子羊」 ハ長調

まず独唱のソプラノとメゾ・ソプラノが無伴奏のハ長調のユニゾンで「Agnus dei,qui tollis peccata mundi  世の罪を除き給う神の子羊よ」と歌い出し、合唱がそれにならう。独唱と合唱が呼び交わすように素朴な祈りを深めてゆく。

 

第6曲 “Lux aeterna” 「永遠の光を」 変ロ長調

独唱だけの部分だが、ソプラノは歌わない。 メゾ・ソプラノが”Lux aeterna luceat eis,Domine” 「主よ、永遠の光明を彼らの上に輝かせ給え」と歌い、やがて三重唱になる。 弦のトレモロとフルートに伴われた美しいメゾ・ソプラノの独唱を経て、三重唱で閉じる。フルートとクラリネットの分散和音による後奏も印象的である。

 

第7曲 “Libera me” 「我を許し給え」 ハ短調

ハ音で独唱ソプラノが”Libera me,Domine,de morte aeterna,in die illa tremenda” 「主よ、かの恐ろしい日に私を永遠の死から解放し給え」と祈祷文を唱え、合唱が変ホ長調でこれに続く。 独唱ソプラノが”Tremens factus sum ego et timeo” 「私は来るべき裁きと怒りとを思ってふるえおののく」と歌うと、長い休止の後で”Dies irae”の冒頭部の激しいト短調の部分が再現し、全合唱が”Dies irae”を絶叫する。 独唱ソプラノが”Dum veneris judicare saeculum per ignem”  「主がこの世を火で裁きに来給う時」と歌い、合唱は”Dies irae”を繰り返す。 転調を重ねてホルンの長いヘ音に至って変ロ短調となり、独唱ソプラノと合唱が”Requiem aeternum” 「主よ、永遠の休息をかれらに与え給え」と第1曲の歌詞を切々と歌い、最弱音で変ロ長調の主和音のフェルマータとなる。

 

再び独唱ソプラノの祈祷文になるが、今度は遙かに劇的である。 弦のトレモロに導かれて、合唱アルトが祈祷文を主題とするフーガの開始を告げ、ソプラノ、バス、テノールと加わって壮大で多彩なクライマックスを築き上げる。 独唱ソプラノが感情豊かに合唱の上で歌い、いったん休止するが、続いて合唱バスから順次入ってくるストレットになり、独唱ソプラノが歌い始めると合唱は最弱音で支える。 合唱バスが”Dum veneris judicare saeculum per ignem”を最弱音でつぶやくと、合唱が息の長いクレッシェンドをしてゆき、ついに独唱ソプラノと共に激しく頂点に達するが、やがて最弱音のハ音で終止する。 独唱ソプラノが低いハ音で三度目の祈祷文を唱え、合唱もすべて同じ音で”Libera me”」を万感の思いを込めて歌って、全曲の終了となる。

 

 モーツァルトのハ短調ミサ曲K.427を巡って

2022年2月2日

町田フィルハーモニー合唱団技術委員会  安倍武明

 

この曲を歌うに当たって、基礎知識、背景などを記してみました。演奏の助けになれば幸いです。

まずはケッヒェル番号から。モーツァルトの時代では曲に番号を付けるという発想はありませんでした。ピアノのパートを自分で弾くことが多かった彼は楽譜に書き込む必要性がなかったからでしょうか。楽譜は消耗品のような物でした。そこで、ドイツのLudwig von Köchel(本職は植物学者だそうですが)が1862年に完成したのがKöchelverzeichnis(ケッヒェル目録)です。モーツァルトは1791年に亡くなりましたから死後70年が経過しています。

この目録中で付与されたケッヒェル番号はモーツァルトの音楽作品を時系列的に配列した番号で、モーツァルトの作品を表すために欠かせない世界共通の認識番号です。この配列作業を最初に行い、出版したのがケッヒェルであり、目録の正式な書名は「モーツァルトの全音楽作品の時系列主題別目録」です。

番号はK. 1からK. 626まであり、K. 626はモーツァルトの死によって未完に終わったレクイエムです。日本や英語圏ではK. 626のように表記されますが、ドイツ語圏ではKV 626と表記されます。Kに続く”.”は省略部分がある事を示す記号です。

ケッヒェルは時系列的に作品を並べたつもりでしたが、のちの研究によって作品の成立時期が見直されたり、作品が新しく発見されたりしました。そのためケッヒェル番号は何度か改訂されています。

しかし、ケッヒェルによる初版の番号が長年親しまれてきたことや、第3版以降の番号の付け方が覚えにくいことから、現在でも初版の番号が広く使われています。表記する場合は初版の番号の後に括弧を付けて新番号を付けます。つまり、K. 427(417a)とはケッヒェルによる初版番号が427、新版の番号が417aである、という意味なのです。なお、ケッヒェルによる初版では、紛失した作品や断片にはK. Anh. 56のような追加番号が当てられました。ケッヒェル・アンハング・56と読みます。このように、ケッヒェル番号はモーツァルトの作品特有のものです。私は小学生の頃すべての曲にはケッヒェル番号が付くと思いこんでいて、レコードでピアノソナタK. 331(第3楽章が有名なトルコ行進曲)を聴いていて、姉に「エリーゼのために」はケッヒェル何番?と聞いてしまって馬鹿にされた思い出があります。

作品を整理して作品番号を付けるのはベートーヴェンあたりから始まりました。それ以前の作曲家の作品は後世に学者が整理して番号が付いています。バッハの作品ではヴォルフガング・シュミーダーが1950年に著したバッハ作品目録Bach-Werke-Verzeichnisに拠っており、BWVと略記されます。これは時系列ではなく、ジャンルで分類されています。ハイドンの作品にはアントニー・ヴァン・ホーボーケンが著した「ヨーゼフ・ハイドン主題書誌学的作品目録」(Josef Haydn, Thematisch-bibliographisches Werkverzeichnis) に従う番号でHob.と略されます。バッハ同様ジャンル別の付番になっています。シューベルトはオットー・エーリッヒ・ドイッチュによって1951年に作られた「シューベルト年代順作品表題目録」(Franz Schubert – Thematic Catalogue of all his works in chronological order"によるドイッチュ番号が使われます。Dと略記され、「D 123」のように表記されます。ドイッチュ自身が作品目録の序文で「自分の名前の略記ではなく、シューベルトの作品を表す記号として、省略記号であることを示す”.”を用いずに使って欲しい」と述べています。ベートーヴェン以降では作曲者や出版社が付けた作品番号が用いられますが、Op.が最初に付きます。これはOpus(作品)を略しているものですが日本では「作品」と読んだり、「オーパス」と読んだりします。「オーピー」などと読んではいけません。

 

さて、謎を秘めた未完の大曲、K.427です。モーツァルトは故郷のザルツブルクで教会のために17曲のミサ曲を作りました。教会付きの作曲家の義務を果たすためですが、大司教のコロレドと大喧嘩をして側近のアルコ伯爵から1781年6月に足蹴にされて教会から追い出され、立腹した彼はウィーンに居を移し、ザルツブルクは稀代の天才を失ったのでした。コロレドは音楽に無理解で長いミサも嫌いだったので、この間のミサ曲は演奏時間20分程度の短いものが多いのですが、例外はMPCも第16回演奏会で取り上げた戴冠ミサ曲 K.317です。制約から自由になったウィーン時代のモーツァルトは宗教曲は書かなくなりましたが、自発的に作曲した曲が3曲だけあります。アヴェ・ヴェルム・コルプスK.618、未完に終わったレクイエムK.626、それにこのK.427で、いずれも非常な傑作です。MPCはこのうちの2曲はすでに演奏会で歌っていますから、K.427で3曲全部歌うことになります。

 

モーツァルトは1782年8月4日にソプラノ歌手のコンスタンツェ・ウェーバーと結婚しました。後世悪妻と言われた女性です。モーツァルトは本当はコンスタンツェの妹のアロイジアがお気に入りだったのですが、アロイジアがさっさと別の男性と結婚してしまったのでやむを得ずコンスタンツェを選んだと言われます。ハ短調ミサ曲は1783年夏にコンスタンツェと同道してザルツブルクに帰省したとき、手土産代わりにペータース教会で初演されました。ソプラノソロのパートに華麗なパッセージを織り込むなど、彼女の披露の意味合いがあったと思われます。しかし、この曲は再演されずに放置されてしまいました。

モーツァルトの死後、作曲家兼出版業者のアントン・アンドレが未亡人となったコンスタンツェから亡夫が残した大量の草稿を譲り受け、その中にこの曲の草稿を見つけたのですが、完成していないことを知ったのです。

完全な姿を整えているのはKyrie,Gloria,Sanctus,Benedictusだけで、Credoは最初の2曲しかなく、Agnus Deiは全く存在しませんでした。アンドレはあちこちに問い合わせしましたが詳細は不明で、大きな謎が残りました。ひとつはモーツァルトはこの曲を完成していたがその後草稿が失われたという説、もうひとつはもともと未完成で、モーツァルトはザルツブルクでの初演の際に足りない部分を自分の旧作で補ったという説です。どの説も推定であり、決め手はないのですが、Gloriaが思いの外長大になってしまい、それに見合うようにCredoを作曲するとあまりに長くなるので作曲を打ち切ったとする未完成説が今では主流のようです。

アンドレ版の楽譜は未完成のオリジナルのまま1840年に出版されましたが、モーツァルト協会の創立者であり理事長であったアロイス・シュミットがアルフレッド・アインシュタイン(新ケッヒェル番号作成の中心人物。相対性原理で有名なアルベルトとは別人)の示唆を受けて完成版作成に着手し、原曲に足らない部分をモーツァルトの初期の作品から借用し、Agnus DeiはKyrieの旋律を流用して改訂増補版を作りました。Agnus Deiはレクイエムでジュスマイヤーが用いた手法と同じですね。この版は1901年4月3日にドレスデンで初演され、ブライトコップ&ヘルテル社から出版されました。この版こそがMPCが今回使用する版なのです。楽譜の最終ページの目次に、どの部分にどういう曲を宛てたか詳細に説明してありますのでぜひお読みください。

近年は原典主義が高まり、いろいろの人の手による改訂版が出版されています。ブライトコップ&ヘルテル社でも他にケンメ版が出ていますし、ベーレンライター社からはライジンガー版、カールス社からはベルニウス版とレヴィン版、と言った具合です。CDやyoutubeの説明には使用版まで載っているのは少なく、判定が難しいのですがAgnus Deiが無く、Benedictusで終了しているのは原典主義によるものです。曲目の選定の際に辻先生から「版はどれにする?」と聞かれたときに、私は躊躇なくシュミット版を選びました。理由は、やはりAgnus Deiがあった方が据わりが良いと思えること、私はこの曲を歌いたくて東京コールフェラインに入団し、荒谷先生の指揮で2000年に歌ったのがこの版であったことです。ところが、手本にすべき演奏CDが見つからないのは誤算でした。結局国内では入手できず、イタリアのamazonから取り寄せる羽目になりました。

ハ短調は劇的な調性でモーツァルトの作品は少ないのですが、ピアノ協奏曲第24番K.491,ピアノソナタ第14番K.457,幻想曲K.475,管楽器のためのセレナード第12番K.388,フリーメーソンのための葬送音楽K.477等があり、すべて深い感動と情緒に包まれた印象的な名作です。ミサ曲としては異例のハ短調で書かれたこの曲は、美しい旋律の中に激しい情熱と深々とした憂愁を湛えているのです。

 


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